唐古鍵遺跡と山辺の道、by 空倶楽部。

2017.04.19 Wednesday

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    今日は空倶楽部の日です。旅の2日目と3日目は古代の歴史を訪ねました。

     

     

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    曇り空の唐古鍵遺跡です。4月8日午後4時頃撮りました。

     

     

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    弥生時代の遺跡です。今、遺跡公園の建設中です。

     

    9の付く日は空倶楽部の日です。発起人は、かず某様と、chacha○様です。

    (私、4月29日と5月9日は海外旅行のため、空倶楽部をお休みします。)

    主に山辺の道に近くの遺跡を訪ねています。

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    箸墓古墳です。3世紀半ばの古墳、卑弥呼の墓という説があります。

     

     

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    巻向石塚古墳です。前方後円墳の成立時期の古墳。

    太平洋末期に陸軍によって墳頂部が削除されました。

     

     

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    黒塚古墳です。 33面の三角縁神獣鏡が出土しました。

     

     

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    黒塚古墳展示館にある、そのレプリカです。

    この時も卑弥呼との関係で盛り上がりました。

     

     

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    崇神天皇陵です。

     

     

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    大神神社(おおみわじんじゃ)です。 三輪山をご神体としています。

    ここの大物主神との悲恋で自殺した女性の古墳が箸墓古墳に祀られている皇女の娘という説があります。

     

     

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    神殿です。

     この三輪山の近辺は、そーめんで有名です。 昼食は勿論、そーめんでした。

     

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    宇和奈辺古墳です。不退寺の近くにあります。

     

     

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    古奈辺古墳です。

     

    奈良での古代の旅をこれで終わりです。

    ご訪問ありがとうございます。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     鎌倉歴史散歩

    2015.05.30 Saturday

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        鎌倉の歴史を訪ねて、切通しを歩きました。

      法性寺
      法性寺からスタートです。



      大切岸
      大切岸と呼ばれる、断崖です。



      名越
      名越の切通しです。 幕府は7つの切通しを作りました。



      やぐら
      まんだら堂の「やぐら」と呼ばれる墓所です。鎌倉文化圏にだけ存在します。



      五輪塔
      死者を供養する、五輪塔です。


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      稲村ケ崎です。 堅固な自然の要塞に囲まれた鎌倉幕府でしたが、この稲村ケ崎から、攻め込んだ
      新田義貞の軍によって滅亡しました。


      道端には健気な花も咲いていました。

      ウノハナ
      卯の花とも呼ばれる、ウツギです。
      旧暦の4月を卯月と呼ぶのは、卯の花の咲く月という意味だと言われています。



      トキワツユクサ
      トキワツユクサです。



      ニワゼキショウ
      ニワゼキショウです。

      ご訪問ありがとうございました。

      CASTLE LOOKING TOUR IN NARA PREFECTURE.

      2012.03.21 Wednesday

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           Japanese cliche says "Neither heat nor cold lasts beyond the equinox."

          It becomes warm in Tokyo these days.

         We went to castle looking tour in Nara prefecturer one week ago.

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         The main gate of Koriyama castle.

         郡山城の追手門です。

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         Main gate Turret.
         
         追手門櫓です。

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         The Library for the Lord of this Castle.  The roof shape is very characterristic.

          柳沢文庫です。このころの城主には貴族趣味の「むくり屋根」の建物が出て来ます。


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         Chihayajou castle site. there was only a stone monument. Snow is remained
         on the way to the castle site.
         This castle site is located in Osaka Metropolitan Area.

         千早城跡です。鎌倉幕府軍と戦った楠木正成の城として知られています。



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         Takatorijo castle site.

         高取城跡です。、日本三大山城の一つです。

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         The foundation of Castle Tower site. 
         This castle site is located on the top of Takatori mountain.  We went on the way to this site by taxi and came back by taxi. But it took two hours and half  by walking.

         高取城の天守閣跡です。 筒井順慶が再興し豊臣秀長が領した城でした。

         Then we went to Tubosakadera Temle.

         その後、壺坂寺に行きました。


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         Three storied Pagoda in Tubosakadera Temple.(1497AD Recnstructed.)

         室町時代に建てられた三重塔です。

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         Kantyou-Do Building.

          灌頂堂です。

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           Thousand armed Goddess of Mercy.

           千手観音です。両サイドに20本の手が有って1本の指で5人救えるので千手観音でという説もあります。

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         Buddist Image statues from India.

         インドから来たと言われる仏像です。

         Finally we went to Chougosonshiji Temple.

         最後に朝護孫子寺に行きました。


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         Bishamondo Building. There was a castle named Shigisanjo Castle.

          毘沙門堂です。 ここには、松永秀久が最期をとげた信貴山城が有りました。

         Sharing withTuesday Tips & Pics.


        CASTLE TOUR IN OKINAWA

        2012.01.30 Monday

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            We went to Okinawa to see old castles.

           Okinawa is located in subtropical region. it's in the same latitude as Houston in Texas state.
           The average tempareture is 20°C(68°F) these days.

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           Syureimon Gate. This gate is located in Syuri-gusuku castle.

           守礼門です。


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           Kankaimon gate,The entrance to Syuri-gusuku castle.

           歓会門です。首里城の入り口です。

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           Roukokumon gate.

           漏刻門です。

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           Main building in Syuri-gusuku castle. Red ocher rouge is the characteristic in Okinawa.

           首里城の本殿です。 ベンガラ色は沖縄独特の色です。

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           Sikinaen Here is the guest area for VIPs from abroad. It takes about 15minutes from Syuri-gusuku castle by car.

           識名園、海外の名士を接待した所です。首里城から車で15分位の所です。


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           Naka-gusuku castle site.

           中城城址です。

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           Naka-gusuku castle site.

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           Naka-gusuku castle site.

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           Katuren-gusuku castle site.

           勝連城城址です。

          勝連城2-1.jpg
           Katuren-gusuku castle site.

           Castles in Okinawa are very different from Main Islands in Japan.

           These heritages were destoryed almost completely by the world war .
           All of them are on the way to reconstruction.

           Okinawa is surrounde by beautiful sea. There are many beautiful flowers there. Cherry blossoms were in full bloom.

           I will write another Okinawa in my next blog.

           Sharing with Lisa Gordon'sThe Creative Exchange.


                                                      Tuesday Tips&Pics.

          城めぐりの旅、津、伊賀上野、松阪

          2011.01.21 Friday

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             2泊3日の城めぐりに出かけました。

             初日は三重県の津市です。 「伊勢は津で持つ津は伊勢で持つ」と言われたのは遠い昔になりました。
             今は県庁所在地のなかで1番人口の少ない市を山口県の山口市と競っているそうです。

             津市にある津城跡でもある「お城公園」に行きました。
            津城-3.jpg
            藤堂高虎の像です。 彼は加藤清正とともに築城の名手と言われました。


             津城です。
            津城-1.jpg
             この城は藤堂高虎によってほぼ完全に作り直されました。この櫓は昭和になって再建されました。

             彼の城の特徴は高い石垣と幅の広い濠です。

                  津城-2.jpg
             「打ち込みはぎ」の石垣がほぼ垂直に作られています。

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             お濠と石垣との間にある「犬走り」という平らな部分があるのも高虎のお城の特徴です。また石垣の角は綺麗な「算木積み」になってます。

             次の日は伊賀上野城です。
            伊賀上野城-1.jpg
             この城の天守と櫓も昭和になって作られましたが当時のものとは形が大分異なるそうです。

             藤堂高虎は浅井長政、豊臣秀吉、徳川家康など多くの主君に仕えました。偶然のなせる技の要素が強いと思いますが「日本のジョセフ.フーシェ」かなとも思ったりします。

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             ここも高く垂直に近い石垣がありました。

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             この天守は当時有ったものの半分くらいの大きさなので少し違和感があります。


             最後の日は松坂城です。 この城は蒲生氏郷が大部分を作りました。
            松坂城-1.jpg
             建物は残っていませんが、山頂部に本丸、中腹に二の丸、山麓に三の丸を置いた典型的な「一二三段(ひふみだん)」の城です。

             松坂は商人の町でもあります。三越の創始者が出た町です。
            松坂の町-1.jpg
             上段左、本居宣長の家、今は松坂城の隠居丸に移築されています。 右、三越の創始者、三井家の家です。
             下段左、ここがお伊勢参りの街道でした。 右、装飾的要素の強い「うだつ」です。 「うだつがあがらない」の言葉はこのうだつから来ました。

             松坂は明治になってから「松阪(まつさか)」と書くようになったそうです。 

             藤堂高虎の下屋敷の門が我が家の近くに残っています(JR山手線駒込駅の近く)。
                                                                            また東京の上野は江戸時代に高虎の屋敷があったこと、伊賀上野と地形が似ていたから忍ヶ岡と呼ばれていたのが上野に変わったと言われています。

             

            城めぐりの旅、小田原

            2010.12.17 Friday

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               今回は小田原です。 現在の小田原城は江戸時代に建てられ昭和になってから復元されました。

               北条早雲を祖とする後北条氏は3代氏康の頃、城と城下町が一体となった「総構(そうがまえ)」という城郭都市が作られました。

               堀と土塁で周囲約20kmの広さをもっていたそうです。

              土塁-1.jpg
               これが現在も残る土塁の一部です。 当時は深さが12m位あったそうです。

               全国をほぼ統一した豊臣秀吉が1590年に小田原城攻めを行いました。

               小田原城を見下す笠懸山に石垣のある城を築き、ほぼ完成してから小田原城側から見える木立を一夜のうちに切り倒しましたので、一夜にして城が出来たように見えました。

              大-1.jpg
               これが石垣山一夜城の遺構です。 小田原攻めが終わったのち秀吉が石垣の要石を取り去ったため現在は石垣は崩れ去っています。

               一夜城が出来て暫くして後北条氏の城は落ちてしまいました。

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               徳川の時代に建てなおされた小田原城の銅門(あかがねもん)です。 渡櫓形式の門です。(昭和になって再建)

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               天主閣です。 雛型が残っていたので当時の天主閣と同じような形に造られました。

               後北条氏の小田原城落城の前、当主らが何度も会議を重ねても結論が出ませんでした。 そのことが後に中々結論の出ない会議を評して「小田原評定」と言うようになりました。

              城を巡る旅 岡山(備中)

              2010.11.05 Friday

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                 初めに岡山市北区の備中高松城に行きました。

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                 日本で唯一、水攻めで落ちた城です。 この城は湿地帯に有ったので、その名残の蓮池が残ってました。

                 秀吉が1582年に毛利勢と戦っていたころ、この城はなかなか落とすことが出来ませんでした。 そこで部下の黒田官兵衛が「勘弁ならんと」思い水攻めにすることにしました。

                 城の周りに堤防を築いて、足守川から水を流し込みこの城は浮城の様にされてしましました。

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                 秀吉の陣地から見た備中高松城です。 この城は1610年に廃城になっているので遺構はなにもありません。

                 この時期に本能寺の変が起こりました。 和睦を急ぐ秀吉はこの城の城主、清水宗治ら4人が切腹をすることを条件に城兵の命を助けることで和議がまとまり。ここの城主等の切腹を見届けて、明智光秀を討つため京へ引き返しました。

                 「浮世をば 今こそ渡れ 武士の 名を高松の 苔に残して」 
                             これは城主、清水宗治の辞世の句です。

                 次に岡山市北区足守の旧足守藩を尋ねました。

                ねね-1.jpg
                 ここの藩主木下家定の妹が秀吉の正室「ねね」です。   上の写真はねねが嫁入りに使った品々です。
                 すでに豊臣の紋、五七の桐が使われています。


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                 ここは緒方洪庵の出生地でもありまして、上記の様な店が有りました。

                次は備中松山城です。岡山県高梁市(たかはしし)に有ります。 現存する天主閣のある12の城の中で唯一の山城です。

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                 朝方、標高430mのこの城から見える遠くの山には霞がかかってました。

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                 手前の二つの櫓の奥に見えるのが天主閣です。この二つの櫓は復元されたものです。


                二の櫓-1.jpg
                天主閣の側面にある二重櫓です。 これは往時のものを改修したものです。 天然の岩盤の上に建てられました。


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                 これが天主閣です。これも天然の岩盤の上に建ってます。この城は昭和と平成に改修されています。
                 この天主閣が現存するのは山の上にあるので壊すのが大変だったから今まで残されたという説もあります。
                 城主は何度も何度も変わってますが、その中には小堀遠州とその父親もいたそうです。


                ここでお城のおさらいです。

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                 上段左、白い格子が見えますがこれは連子格子(れんじこうし)と言って、ここから鉄砲を撃ったり矢を放つのに使われました。
                 その上の屋根を唐破風(からはふ)と言います 右の屋根は千鳥破風と呼びます。

                 下段左、鉄砲狭間(てっぽうざま)右は矢狭間(やざま)と呼びます。

                          この備中松山城は日本三大山城の一つと呼ばれています。


                城めぐりの旅 甲府

                2010.10.25 Monday

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                    甲斐の国の国府、甲府に行って来ました。

                   武田信虎、信玄、勝頼の居城の躑躅ヶ崎の館は大正時代から武田神社になってます。

                  武田神社-1.jpg

                   躑躅ヶ崎の館はこの神社の隅にわずかにその面影を残しています。

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                   この館の奥の要害山に詰め城が有りました。

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                   煙の見える奥の山が要害山だそうです。 信虎が今川氏の家臣に攻められたとき、身重の大井夫人はこの要害山城で信玄を出産したそうです。


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                   上段左、長禅寺です。ここに信玄の生母、大井夫人の墓があります。 右、東光寺の信玄の嫡男義信の墓です。信玄の今川氏攻略に反対して非業の死を遂げたそうです。

                   下段左、円光院の信玄の正室三条夫人の墓です。 右、法泉寺の勝頼の墓です。


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                   甲府駅の近くにある甲府城です これは稲荷櫓と言います。平成のときの再建です。城は明治時代に出された「廃城令」で多くの城は壊されましたので多くの城が昭和になってから再建され始めました。

                   この稲荷櫓は資料館になっています。

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                   左、秀吉の頃、この城を支配した浅野長政の家紋「丸に違い鷹の羽」や徳川の時代にこの城を支配した柳沢義保の家紋の「花菱」が目に着くところに大きく下げられていました。

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                   甲府城の天主台です。 天主閣が有ったかどうかは不明です。 この城は徳川の時代に西に対する守りの城として徳川家が直接支配するようになりました。

                   甲府藩の藩主になったときの柳沢義保はその喜びを

                   「めぐみある 君につかえし 甲斐ありて 雪のふる道 今ぞ踏みみん」

                   という和歌に詠んでいます。

                  城めぐりの旅、明石、赤穂など

                  2010.09.16 Thursday

                  0
                      東経135度の町、明石市から旅の始まりです。 聖路加病院のある中央区明石町はここの明石の名を取って町名が定められました。

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                     明石城の辰巳櫓です。

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                     同じく坤(ひつじさる)櫓です。 これらは元和3年(1617年)に造られたもののようです。

                     明石は蛸が沢山取れます。明石玉というアクセサリーを作る時、卵白を用いたので、卵黄が余ってしまい、それを蛸と一緒に小麦粉とともに焼いたのが明石焼きでたこ焼きのルーツとも言われています。

                     次に訪れたのが赤穂市です。

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                     ここには往時のものとして大石内蔵助の長屋門だけが残っています。

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                     赤穂城の本丸に入る高麗門です。近代城郭として完成させたのは浅野氏初代の長直です。1645年に造られましたが今残っているのは城の石垣と天主台だけです。 この本丸に入る門は昭和57年から再建されたものです。

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                     左、天主台跡です。江戸城が1657年の明暦の大火事で焼けたあと天主閣が再建されなかったこともあって赤穂城も天主台だけ造り天主閣は造られませんでした。
                     右、この城の石垣です。鋭角に折れ曲がっているのは、敵にに対して十字砲火で対抗するためと言われてます。

                     次はたつの市です。

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                     もと山城として建てられ、元和の「一国一城令」のあと本多政朝が入場、その後脇坂家が入封しました。 昭和に再建された城です。

                     たつの市は三木露風の故郷ということで、マンホールの模様も国民宿舎もあかとんぼだらけです。

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                     左、国民宿舎「あかとんぼ荘」です。 右、揖保川の堤防です。くぼんだ所に畳を入れて洪水に対処した「畳堤防」だそうです。

                     三木露風は幼くして両親が離婚してそれ以来母親に会っていないそうです。
                     「、、、負われて見たのはいつの日か、」という歌詞に母を偲ぶ思いがあふれていたかも知れないそうです。 そのようなことを聞くとこの歌が胸にジーンくるものを感じてしまいます。





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                     最後に訪れたのが篠山城(ささやまじょう)です。 この城は家康が全国の諸大名に命じて造らせた「天下普請」の城の一つで西国15ヶ国23大名によって1609年に着工して1年足らずで造られたものです。

                     ここ篠山は丹波の国で大阪城の豊臣勢力をけん制する意味があったそうです。

                     左、往時の石垣です。 右、「馬出」といわれる当時の土塁です。

                     城をめぐる旅、癖になりそうです。

                    城を巡る旅、浜松

                    2010.09.09 Thursday

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                        浜松近辺の4つのお城を巡る旅、某大手旅行会社のツアーに参加して一泊二日の旅に出ました。

                       最初は天竜川と二俣川に挟まれた中世の名城の二股城址です。

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                       元は今川氏の居城だったこの城は1568年から1572年まで徳川.武田両氏の激しい攻防があった所です。 長篠の戦いに勝った徳川方がこの城を押さえました。

                       後に信長から謀反の疑いがあるので家康の正室と長男を殺すように命じられたとき、長男、信康はここで切腹しました。

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                       信康の墓が有る清瀧寺と信康の墓です。墓は二重になった門の奥にあります。


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                       三方ヶ原古戦場の碑文です。 ここは浜松城からバスで20分位走った所です。

                       1572年の徳川家康と武田信玄の戦いは徳川側の大敗に終わり、家康は恐怖のあまり脱糞しながら浜松城に逃げ帰ったそうです。


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                       浜松城の天守閣です。 これはコンクリート造りの資料館になってます。 三方ヶ原の戦いから逃げ帰った家康は、「空城の計」という戦法を使いました。 城門を開け放ちて篝火を焚きました。

                       武田軍は何かたくらみがあるのかも知れないと思い城攻めを諦めました。



                       
                       高天神城です。これも徳川と武田の戦いが約十年続き1581年徳川側の勝利となりました。

                       上段右が本丸です。 下段右が「甚五郎の抜け道」といわれる尾根伝いの道で軍監、横田甚五郎がこの道を抜けて武田勝頼に援軍を求めたとされています。

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                       横須賀城です。石垣が近年に造られたものの様です。 掛川市にあります。 武田方の高天神城を監視するため徳川方によって造られました。

                       武田信玄が1573年に病死したことが家康側にとても有利な状況をもたらしたようです。

                        帰りは午後2時ごろに東名高速の菊川インターに入りましたが、なんと台風の影響で沼津と大井松田間が通行止めになってました。

                       バスは富士インターを出て中央高速に入り道路も車が順調に流れていて無事帰宅しました。

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                       おかげで朝霧高原付近で富士山を写真に収める事が出来ました。

                                夏草や つわものどもが 夢のあと

                       芭蕉が平泉で詠んだ句ですが、この句がぴったりの旅でした。