城を巡る旅、浜松

2010.09.09 Thursday

0
      浜松近辺の4つのお城を巡る旅、某大手旅行会社のツアーに参加して一泊二日の旅に出ました。

     最初は天竜川と二俣川に挟まれた中世の名城の二股城址です。

    二股城-1.jpg
     元は今川氏の居城だったこの城は1568年から1572年まで徳川.武田両氏の激しい攻防があった所です。 長篠の戦いに勝った徳川方がこの城を押さえました。

     後に信長から謀反の疑いがあるので家康の正室と長男を殺すように命じられたとき、長男、信康はここで切腹しました。

    信康の墓-1.jpg
     信康の墓が有る清瀧寺と信康の墓です。墓は二重になった門の奥にあります。


    三方ヶ原-1.jpg
     三方ヶ原古戦場の碑文です。 ここは浜松城からバスで20分位走った所です。

     1572年の徳川家康と武田信玄の戦いは徳川側の大敗に終わり、家康は恐怖のあまり脱糞しながら浜松城に逃げ帰ったそうです。


    浜松城-1.jpg
     浜松城の天守閣です。 これはコンクリート造りの資料館になってます。 三方ヶ原の戦いから逃げ帰った家康は、「空城の計」という戦法を使いました。 城門を開け放ちて篝火を焚きました。

     武田軍は何かたくらみがあるのかも知れないと思い城攻めを諦めました。



     
     高天神城です。これも徳川と武田の戦いが約十年続き1581年徳川側の勝利となりました。

     上段右が本丸です。 下段右が「甚五郎の抜け道」といわれる尾根伝いの道で軍監、横田甚五郎がこの道を抜けて武田勝頼に援軍を求めたとされています。

    横須賀城-1.jpg
     横須賀城です。石垣が近年に造られたものの様です。 掛川市にあります。 武田方の高天神城を監視するため徳川方によって造られました。

     武田信玄が1573年に病死したことが家康側にとても有利な状況をもたらしたようです。

      帰りは午後2時ごろに東名高速の菊川インターに入りましたが、なんと台風の影響で沼津と大井松田間が通行止めになってました。

     バスは富士インターを出て中央高速に入り道路も車が順調に流れていて無事帰宅しました。

    富士山-1.jpg
     おかげで朝霧高原付近で富士山を写真に収める事が出来ました。

              夏草や つわものどもが 夢のあと

     芭蕉が平泉で詠んだ句ですが、この句がぴったりの旅でした。
    コメント
    いい旅してきましたね
    山岡宗八の徳川家康25巻前に読んで居るので
    興味深く見させていただきました
    雲のかかった夕焼けの冨士なかなかいいですね〜
    とっとこ様 こんばんは。徳川家康25巻読みとおしたのですか、スゴイですね。 私はへそ曲がりなもので歴史の本はノンフィクションしか詠みません。(司馬遼太郎だけ少し読みました)これから花の季節も終わりに近くなりましたのでどんどん歴史の旅に出る予定です。 富士山の写真を撮っているときは、いつ帰宅出来るかがとても心配でした。
    • by minor
    • 2010/09/10 10:55 PM
    コメントする
    トラックバック
    この記事のトラックバックURL