城めぐりの旅、明石、赤穂など

2010.09.16 Thursday

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      東経135度の町、明石市から旅の始まりです。 聖路加病院のある中央区明石町はここの明石の名を取って町名が定められました。

    明石城-1.jpg
     明石城の辰巳櫓です。

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     同じく坤(ひつじさる)櫓です。 これらは元和3年(1617年)に造られたもののようです。

     明石は蛸が沢山取れます。明石玉というアクセサリーを作る時、卵白を用いたので、卵黄が余ってしまい、それを蛸と一緒に小麦粉とともに焼いたのが明石焼きでたこ焼きのルーツとも言われています。

     次に訪れたのが赤穂市です。

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     ここには往時のものとして大石内蔵助の長屋門だけが残っています。

    赤穂城-2.jpg
     赤穂城の本丸に入る高麗門です。近代城郭として完成させたのは浅野氏初代の長直です。1645年に造られましたが今残っているのは城の石垣と天主台だけです。 この本丸に入る門は昭和57年から再建されたものです。

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     左、天主台跡です。江戸城が1657年の明暦の大火事で焼けたあと天主閣が再建されなかったこともあって赤穂城も天主台だけ造り天主閣は造られませんでした。
     右、この城の石垣です。鋭角に折れ曲がっているのは、敵にに対して十字砲火で対抗するためと言われてます。

     次はたつの市です。

     龍野城-1.jpg
     もと山城として建てられ、元和の「一国一城令」のあと本多政朝が入場、その後脇坂家が入封しました。 昭和に再建された城です。

     たつの市は三木露風の故郷ということで、マンホールの模様も国民宿舎もあかとんぼだらけです。

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     左、国民宿舎「あかとんぼ荘」です。 右、揖保川の堤防です。くぼんだ所に畳を入れて洪水に対処した「畳堤防」だそうです。

     三木露風は幼くして両親が離婚してそれ以来母親に会っていないそうです。
     「、、、負われて見たのはいつの日か、」という歌詞に母を偲ぶ思いがあふれていたかも知れないそうです。 そのようなことを聞くとこの歌が胸にジーンくるものを感じてしまいます。





    篠山城-1.jpg
     最後に訪れたのが篠山城(ささやまじょう)です。 この城は家康が全国の諸大名に命じて造らせた「天下普請」の城の一つで西国15ヶ国23大名によって1609年に着工して1年足らずで造られたものです。

     ここ篠山は丹波の国で大阪城の豊臣勢力をけん制する意味があったそうです。

     左、往時の石垣です。 右、「馬出」といわれる当時の土塁です。

     城をめぐる旅、癖になりそうです。
    コメント
    今度は城廻の旅、羨ましいですね〜
    歴史の好きな人は、お城は魅力が有りますね
    いろんな事が知る事が出来ていいですね
    楽しみにしてますので、連載を期待します
    ととっこ様 おはようございます。 以前は東京歴史散歩を書いてましたがほとんど行きつくしたので、とりあえず城めぐりのツアーに参加するようになりました。今回は地元ボランティアの説明が有りましたがお城のことはほとんど知らないので、お城の本を片手に旅をしました。
    • by minor
    • 2010/09/18 9:29 AM
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