城を巡る旅 岡山(備中)

2010.11.05 Friday

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     初めに岡山市北区の備中高松城に行きました。

    史跡公園 水攻め-1.jpg
     日本で唯一、水攻めで落ちた城です。 この城は湿地帯に有ったので、その名残の蓮池が残ってました。

     秀吉が1582年に毛利勢と戦っていたころ、この城はなかなか落とすことが出来ませんでした。 そこで部下の黒田官兵衛が「勘弁ならんと」思い水攻めにすることにしました。

     城の周りに堤防を築いて、足守川から水を流し込みこの城は浮城の様にされてしましました。

    高松城址-1.jpg
     秀吉の陣地から見た備中高松城です。 この城は1610年に廃城になっているので遺構はなにもありません。

     この時期に本能寺の変が起こりました。 和睦を急ぐ秀吉はこの城の城主、清水宗治ら4人が切腹をすることを条件に城兵の命を助けることで和議がまとまり。ここの城主等の切腹を見届けて、明智光秀を討つため京へ引き返しました。

     「浮世をば 今こそ渡れ 武士の 名を高松の 苔に残して」 
                 これは城主、清水宗治の辞世の句です。

     次に岡山市北区足守の旧足守藩を尋ねました。

    ねね-1.jpg
     ここの藩主木下家定の妹が秀吉の正室「ねね」です。   上の写真はねねが嫁入りに使った品々です。
     すでに豊臣の紋、五七の桐が使われています。


    喫茶 ねね-1.jpg
     ここは緒方洪庵の出生地でもありまして、上記の様な店が有りました。

    次は備中松山城です。岡山県高梁市(たかはしし)に有ります。 現存する天主閣のある12の城の中で唯一の山城です。

    山城の靄-1.jpg
     朝方、標高430mのこの城から見える遠くの山には霞がかかってました。

    備中松山城-1.jpg
     手前の二つの櫓の奥に見えるのが天主閣です。この二つの櫓は復元されたものです。


    二の櫓-1.jpg
    天主閣の側面にある二重櫓です。 これは往時のものを改修したものです。 天然の岩盤の上に建てられました。


    備中松山城-2.jpg
     これが天主閣です。これも天然の岩盤の上に建ってます。この城は昭和と平成に改修されています。
     この天主閣が現存するのは山の上にあるので壊すのが大変だったから今まで残されたという説もあります。
     城主は何度も何度も変わってますが、その中には小堀遠州とその父親もいたそうです。


    ここでお城のおさらいです。

    唐破風-1.jpg
     上段左、白い格子が見えますがこれは連子格子(れんじこうし)と言って、ここから鉄砲を撃ったり矢を放つのに使われました。
     その上の屋根を唐破風(からはふ)と言います 右の屋根は千鳥破風と呼びます。

     下段左、鉄砲狭間(てっぽうざま)右は矢狭間(やざま)と呼びます。

              この備中松山城は日本三大山城の一つと呼ばれています。


    コメント
    あの有名な高松城の水攻め・・・・
    史跡を訪れるだけでワクワクしますね
    毎回楽しい記事楽しみにしてますよ〜
    写真もいいですね〜
    とっとこ様 おはようございます。備中高松城の資料館には台風の時に水浸しになった城の有った所のの写真が展示されていて、なるほどと思いました。
     ようやく備中松山城で現存する天主閣を見ることが出来ました。
    • by minor
    • 2010/11/07 10:51 AM
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