東京散歩、品川
2009.07.31 Friday
この駅は、新橋、横浜間の鉄道が開通するより前に、品川、横浜間で仮営業が始まっているので、日本で最初に開業した駅は品川駅となります。
ここから第一京浜国道を田町駅の方に歩いて行くと左側の奥にあるのが東禅寺です。
ここにはイギリス公使館が置かれていました。
ここから少し田町駅よりに行ったところが、浅野内匠頭や四十七士がねむる泉岳寺です。
大石内蔵助の銅像が迎えてくれます。
四十七士の墓には戒名の最初の文字が「刀」で始まります。これは切腹したことを示しています。
一人だけ「刀」の文字が無いのが、寺坂吉右衛門です。 彼は吉良邸討ち入りが成功したことを知らせに赤穂に戻ったので切腹せずに生き残りました。
さらに田町駅方面に歩いて行くと「高輪大木戸跡」があります。
今は片側だけ石垣が残っていますが、ここが江戸の内と外の堺になっていました。
現在の品川は新幹線が停車するようになってからは、まさに東京の西の玄関口です。
三国峠のお花畑
2009.07.29 Wednesday
この登山口から、三国山にかけて、お花畑の連続でした。
なかでも印象的だったのは、シモツケソウとシモツケ(木)がとても綺麗だったことです。
登山口からかなり登ったところまで、上の写真のシモツケソウが沢山咲いていました。
そして、ある時、気が付くと、咲いているのは、シモツケに変わっていました。
シモツケソウもシモツケも甲乙つけがたく素晴らしかったです。
その他にも沢山の山野草が咲いていました。
上、左から、日光キスゲ、 ツリガネニンジンです。
下、左から、ホツツジ、オオコメツツジです。
上、左から、ノリウツギ、エゾアジサイです。
下、左から、ミヤマカラマツ、キオンです。
上、左から、オトギリソウ、トリアシショーマです。
下、左から、ハコネギク、シシウドです。
三国峠から三国山にかけて日光ニスゲの群生が有りましたが、見慣れているせいか、少し感動しただけでした。
茨城県散歩、土浦
2009.07.26 Sunday
常陸国土浦藩の城下町、現在の土浦市をボランティアが案内してくれるという企画が有りましたので出かけてきました。
土浦のイメージは近くにある霞ヶ浦の帆引き船、阿見すいか、阿見飛行場のセスナ機の遊覧飛行しか知りませんでした。
観光のため操業されている帆引き船のパンフレットです。
土浦藩の初代藩主は土屋政道で9万5千石だったそうです。土屋氏と言ってもピンときませんが、赤穂浪士が本所の吉良邸に討ち入りした時、吉良邸の隣に住んでいたのが、土屋逵直ですので、この人の本家の祖先ということでようやく納得がいきました。
この土屋氏の土浦城は明治になって失火で焼けて櫓門だけ残りました。
土浦は水戸街道に面していて堀をつかって霞ヶ浦、利根川、隅田川とつないで江戸までの水運が発達していたので古くから栄えたとのことでした。
栃木や川越と似たようなパターンです。
上の写真は店蔵つくりと言われる土蔵のあるお店です。 昔は蔵が沢山有ったそうです。
その一つ「のむら」という店の2階の蔵には土門拳氏が写した予科練の生徒の写真が展示してありました。
零戦と思われる飛行機の後ろに有るのが、その写真です。
ここの阿見飛行場が予科練の練習に使われていたそうで、山本五十六氏も副官として、土浦に来ており
「やってみせ 言って聞かせて やらせてみて ほめてやらねば 人は動かぬ」 という彼の有名な言葉のコピーがかざってありました。
この日は「土浦祇園祭」の日で神輿や山車も出ていました。
ボランティアの人は本陣が有ったこと、蔵が沢山あったことをとても誇りに思っているようでした。
わが家から見た隅田川の花火(動画)
2009.07.25 Saturday
本日は20倍ズームのコンパクトカメラで写してみました。
我が家から見た隅田川の花火 パート1
同じくパート2
風に吹かれながら快適な花火見物でした。
東京散歩、東京、京橋
2009.07.23 Thursday
東京駅の八重洲北口にある大丸の1階の一番はずれに、
江戸北町奉行跡の碑文があります。
あまり地面に近いのでうまく撮れませんでした。 北町奉行といえば「遠山金四郎」で有名です。
犯罪者の腕に黒く墨を入れるのが「いれずみ」、金さんが背中に彫っていたとされる桜吹雪は「彫り物」と呼んで区別されていたそうです。
八重洲の地下街にはこんなものもあります。
左はこの人の名前から「八重洲」といわれ始めたオランダ人「ヤン.ヨーステン」です。右はイタリアの美術館から模写された豚で鼻の頭をなでると運が良くなると言われています。
鍛冶橋を通って京橋に行きました。
左が明治に作られた京橋の名残りです。 右は鍛冶橋交差点にある首都高速度道路の換気口です。
左は歌舞伎発祥の地の碑文とこの辺が青物市場だったことを表す「京橋大根河岸青物市場跡」の碑文です。
ホテル西洋銀座の向かいにあります。
京橋を過ぎて弾正橋を渡ると八丁堀です。 そこには与力。同心が住んでいました。
東京散歩、雑司ヶ谷界隈
2009.07.14 Tuesday
雑色(ぞうしき)の住んだ家が多かったので雑司ヶ谷と言われるようになったという説もある、この町にやってきました。
鬼子母神本坊の法明寺に行きました。
ここの寺紋は四角の中に橘です。
寺の梵鐘です。
乳(ち)と呼ばれる突起物が5列5行で25個になりこれが4か所有るので100個、他に2個づつ乳が4か所有るので合計108個となります。
このような形の鐘は江戸時代以降の作とされています。
この鐘の下縁にはこんなものが描かれています。
算盤、曲尺、天秤、等です。
この寺の境内を通って鬼子母神堂に行きました。
権現造りの本殿です。紋はザクロです。鬼子母神の物語に基づいています。
拝殿です
鬼の字が角のとれたオニの字に変わっています。
夜叉神から安産、子育の神に変わったことを象徴しています。
この近辺に雑司ヶ谷霊園が有ります。
夏目漱石や竹久夢二などの墓が有りとても閑静な所です。 すぐそばが都電の雑司ヶ谷駅です。