諏訪大社とその近辺の旅
2010.09.27 Monday
諏訪湖です。
御柱祭は寅の年と申の年に行われる7年目ごとの天下の大祭です。 諏訪大社のお祭りは春に終わりましたが、諏訪地方にある全ての小宮の祭りが、そのあと続いて行われます。
手長神社です。 右の写真の石段の中央が黒くなっているのは御柱を曳くのに都合よくするためアスファルトがひいてあります。
今回は某NPOの世話人の方がこの神社の氏子ですので、御柱曳きに参加させてもらいました。
高島城の本丸にある諏訪護国神社です。 諏訪にある神社は全て前側に2本、後ろ側に2本の御柱を建てています。
手長神社の御柱を曳いているところです。 私もこの後、少しだけ大きな綱を曳かせてもらいました。
御柱祭に参加したことの証拠写真です。 首に巻いている細い綱で本体の太い綱を曳きます。
諏訪大社です。 この大社は神社が4つ有ります。
上段左、上社前宮です。右、上社本宮です。
下段左、下社春宮です。 右下社、秋宮です。
大社前宮の湧水の出る近辺に釣り船草が群生していました。
このほか八ヶ岳山麓にある縄文文化の遺跡のある所に建てられた「尖石縄文考古館」にも行きました。
上段左、「縄文のビーナス」です。これは国宝です。 右、「仮面のビーナス」です。
下段は二つの深鉢です。
これらは茅野市米沢の棚畑遺跡から出土したそうです。 手の込んだこれらの作品は縄文時代の人々が経済的にも精神的にもとても豊かであったことを物語ってます。
この世界最古の土器の美しさを最初に多くの人にうったえたのは故岡本太郎氏だそうです。
このほかにもS.T様のご推薦の高島城にも足をのばしました。
諏訪の浮嶋とも呼ばれるこの城は主にこの土地の豪族、諏訪氏の城です。 この天主閣は昭和になって再建されました。
左、角櫓(すみやぐら)です。隅櫓と書く方が多いです。 右、本丸に入る「冠木門」です。 現在は渡櫓門の様になってますが往時の門の形は分かっていません。
往時は諏訪湖に浮かぶ城だったのですが、1830年ごろ、諏訪湖からの水が天竜川に流れていたその流れ口の灌漑工事をして、そこにあった島を取り除いてしまったので諏訪湖の水位が下がり、この城は平城になってしまいました。
それで多くの洪水の被害もほとんど無くなったそうです。
上段左、諏訪大社の神紋です。 右、諏訪氏の家紋です(梶葉紋)。
下段、これらの紋に使われた梶の木です。 諏訪氏と諏訪大社に強い繋がりが有ったようです。
二日目の朝は快晴だったのですが高島城に行く時は雨がぽつりぽつりと降ってきました。
やはり現代三大不如意「女心、山の天気、秋の空」には敵いませんでした。
大悲願寺と横沢入
2010.09.21 Tuesday
大悲願寺です。 源頼朝が造るように命じたと言われています。
大 悲願寺に似合うのは彼岸花でしょうか。
ヒガンバナ(ヒガンバナ科)です。 残念ながら満開には少し早すぎました。
この寺でとても有名なのは、境内一面に咲く「白萩」です。(マメ科) 伊達正宗からこの白萩が欲しいという手紙がこの寺に残っているそうです。
この寺を過ぎて少し歩くと横沢入です。
東京都で第一に指定された「里山保全地域」です。
里山の面影を残そうと多くの人が努力しているようです。
花や虫も沢山揃ってます。
上段左、モミジアオイ(紅葉葵)アオイ科です。 右、アオイです。
下段左、ハツユキソウ(初雪草)トウダイクサ科です。 右、オニグルミ(鬼胡桃)クツミ科の実です。
上段左、ミゾソバ(溝蕎麦)タデ科です。 右、キバナアキギリ(黄花秋桐)シオ科です。
下段左、センニンソウ(仙人草)キンポウゲ科がまだ咲いていました。 右、クサギ(クマツズラ科)です。もう少しで黒い実が出てきます。
オニヤンマがいたりアカボシゴマダラがいました。この蝶は近年に東京でも見るようになりました。
下段はジョロウグモとコガネグモです。
ヌスビトハギ(盗人萩)マメ科です。 右側の実が盗人の足に似てるそうです。
ママコノシリヌグイが今度は良く撮れました。 茎を一本抜こうと思いましたが指が痛くて抜けませんでした。
歩いているうちに武蔵五日市駅のそばに出てきました。
震生湖
2010.09.18 Saturday
大山(おおやま) 1252mです。
関東大震災の時に出来たのでこの名前になりました。 ヘラブナが釣れるそうです。
秋の植物を見てきました。
上段左、ボタンクサキ(牡丹臭木)クマツヅラ科です。 右、クズ(葛)の花、マメ科です。
下段左、ヘクソカズラ(屁糞葛)アカネ科です。 右、ママコノシリヌグイ(継子の尻拭い)タデ科です。
花も偏見にじっと耐えています。
上段左、ノササゲ(野大角豆)マメ科です。 右、ハナイカダ(花筏)ミズキ科の実です。
下段左、 ノブキ(野蕗)キク科の実です。 右、ヤマホトトギス(ユリ科です。
上段左、ベニバナボロギク(キク科)です。 右、オニドコロ(鬼野老)の実です。
下段左、ガマズミ(スイカズラ科)の実です。もう少しで赤くなります。 右、 ホドイモ(マメ科)です。
まだまだ暑さとのたたかいでした。
城めぐりの旅、明石、赤穂など
2010.09.16 Thursday
明石城の辰巳櫓です。
同じく坤(ひつじさる)櫓です。 これらは元和3年(1617年)に造られたもののようです。
明石は蛸が沢山取れます。明石玉というアクセサリーを作る時、卵白を用いたので、卵黄が余ってしまい、それを蛸と一緒に小麦粉とともに焼いたのが明石焼きでたこ焼きのルーツとも言われています。
次に訪れたのが赤穂市です。
ここには往時のものとして大石内蔵助の長屋門だけが残っています。
赤穂城の本丸に入る高麗門です。近代城郭として完成させたのは浅野氏初代の長直です。1645年に造られましたが今残っているのは城の石垣と天主台だけです。 この本丸に入る門は昭和57年から再建されたものです。
左、天主台跡です。江戸城が1657年の明暦の大火事で焼けたあと天主閣が再建されなかったこともあって赤穂城も天主台だけ造り天主閣は造られませんでした。
右、この城の石垣です。鋭角に折れ曲がっているのは、敵にに対して十字砲火で対抗するためと言われてます。
次はたつの市です。
もと山城として建てられ、元和の「一国一城令」のあと本多政朝が入場、その後脇坂家が入封しました。 昭和に再建された城です。
たつの市は三木露風の故郷ということで、マンホールの模様も国民宿舎もあかとんぼだらけです。
左、国民宿舎「あかとんぼ荘」です。 右、揖保川の堤防です。くぼんだ所に畳を入れて洪水に対処した「畳堤防」だそうです。
三木露風は幼くして両親が離婚してそれ以来母親に会っていないそうです。
「、、、負われて見たのはいつの日か、」という歌詞に母を偲ぶ思いがあふれていたかも知れないそうです。 そのようなことを聞くとこの歌が胸にジーンくるものを感じてしまいます。
最後に訪れたのが篠山城(ささやまじょう)です。 この城は家康が全国の諸大名に命じて造らせた「天下普請」の城の一つで西国15ヶ国23大名によって1609年に着工して1年足らずで造られたものです。
ここ篠山は丹波の国で大阪城の豊臣勢力をけん制する意味があったそうです。
左、往時の石垣です。 右、「馬出」といわれる当時の土塁です。
城をめぐる旅、癖になりそうです。
大菩薩峠の南
2010.09.11 Saturday
美人の人が多く行ったせいか、木花咲耶姫はご機嫌が悪いらしく、富士山はすぐ隠れてしまいました。 、
この日のハイライト、ヒメヒゴタイ(キク科)です。
セイタカトウヒレン(キク科)です。 茎にニシキギの様な翼があります。 ヒレンとはアザミを意味するようです。
上段左、タカオヒゴタイ(高尾平江帯)キク科です。 右、ウメバチソウ(ユキノシタ科)です。この可愛らしい花は写真に撮ると白くボケてしまうことが多くカメラマン泣かせの花です。
下段、オオナンバンギセル(ハマウツボ科)です。ヒカゲスゲなどに寄生します。ナンバンギセルはススキに寄生します。
万葉集の「道のべの 雄花が下の思い草 今さらになど ものかは思はん」と詠まれた「思い草」はナンバンギセルの事だそうです。
上段左、ハバヤマボクチ(キク科)です。 右、タチコゴメグサ(ゴマノハグサ科)です。
下段左、ヤハズハハコ(キク科)です。 右、ウスユキソウ(キク科)です。
上段左、アキノキリンソウ(キク科)です。 右、ヤナギタンポポ(キク科)です。
下段左、ホソバノツルリンドウ(リンドウ科)の蕾です。 右、ミツモトソウ(バラ科)です。
ヒメヒゴタイは蕾まで美しく、とても感動しました。
城を巡る旅、浜松
2010.09.09 Thursday
最初は天竜川と二俣川に挟まれた中世の名城の二股城址です。
元は今川氏の居城だったこの城は1568年から1572年まで徳川.武田両氏の激しい攻防があった所です。 長篠の戦いに勝った徳川方がこの城を押さえました。
後に信長から謀反の疑いがあるので家康の正室と長男を殺すように命じられたとき、長男、信康はここで切腹しました。
信康の墓が有る清瀧寺と信康の墓です。墓は二重になった門の奥にあります。
三方ヶ原古戦場の碑文です。 ここは浜松城からバスで20分位走った所です。
1572年の徳川家康と武田信玄の戦いは徳川側の大敗に終わり、家康は恐怖のあまり脱糞しながら浜松城に逃げ帰ったそうです。
浜松城の天守閣です。 これはコンクリート造りの資料館になってます。 三方ヶ原の戦いから逃げ帰った家康は、「空城の計」という戦法を使いました。 城門を開け放ちて篝火を焚きました。
武田軍は何かたくらみがあるのかも知れないと思い城攻めを諦めました。
高天神城です。これも徳川と武田の戦いが約十年続き1581年徳川側の勝利となりました。
上段右が本丸です。 下段右が「甚五郎の抜け道」といわれる尾根伝いの道で軍監、横田甚五郎がこの道を抜けて武田勝頼に援軍を求めたとされています。
横須賀城です。石垣が近年に造られたものの様です。 掛川市にあります。 武田方の高天神城を監視するため徳川方によって造られました。
武田信玄が1573年に病死したことが家康側にとても有利な状況をもたらしたようです。
帰りは午後2時ごろに東名高速の菊川インターに入りましたが、なんと台風の影響で沼津と大井松田間が通行止めになってました。
バスは富士インターを出て中央高速に入り道路も車が順調に流れていて無事帰宅しました。
おかげで朝霧高原付近で富士山を写真に収める事が出来ました。
夏草や つわものどもが 夢のあと
芭蕉が平泉で詠んだ句ですが、この句がぴったりの旅でした。
箱根 ハイアットリージェンシー
2010.09.04 Saturday
首都高速の山手トンネルが開通したおかげで、我が家から箱根まで2時間半で行けるようになりました。
最初は箱根湿性花園で花の観察です。
上段左、シラヒゲソウ(ユキノシタ科) 右、ナツエビネ(ラン科)です。
下段左、 アシタカジャコウソウ(愛鷹嚢香草)シソ科、右、ゴマナ(キク科)です。
上段左、タムラソウ(キク科)です。 右、ハマナスの実(バラ科)です。
下段、ミソハギ(ミソハギ科)の群生とそのアップです。
ここに来ても暑いので久方ぶりに、駒ケ岳へロープウエイで登りました。
下段左は、元箱根付近、右は箱根神社の元宮です。 流石にここでは秋風を感じることが出来ました。
ホテルに着いてマウントビュウの部屋に入ると明神ヶ岳の「大」という字が見えました。これは強羅夏祭りの時に送り火をするのだそうです。
夜10時過ぎに山の端から下弦の月が登り始めました。
夕食は寿司懐石を食べデザートはラウンジでとりました。 ホテルに前もって注文しておいたフルーツタルトであらためて妻の誕生日を祝いました。
自宅に帰ったら兄から薔薇の花が届きました。 妻の誕生日にあわせて旅行に行ったのは初めてでした。