烏帽子岳(群馬県)
2010.10.27 Wednesday
伊香保温泉の近くにある烏帽子岳(烏帽子ヶ岳)に登ってきました。
登山口から見た烏帽子岳です。
紅葉の間からもこの山が見えました。
カラマツの林を通り過ぎました。
「落葉松の林を過ぎて 落葉松をしみじみ見き 落葉松は寂しかりけり、、、、、、」 白秋の詩が思い出されます。
足元に美しく実るユキザサの実です。 左がハルナユキザサ(榛名雪笹) 右はユキザサです。
左、アズマヤマアザミ、右、ナンブアザミです。 総苞片の長さに違いが現れます。
左、ウリハダカエデ、右、カジカエデです。
頂上からの眺めです。
榛名富士(1391m)です。
相馬岳(1104m)です。
二つ岳(1343m)です。
麓から見た榛名富士です。
麓から烏帽子岳(1363m)をアップにしました。
「亭主の好きな赤烏帽子」では無く、錦秋の烏帽子岳でした。
登山口から見た烏帽子岳です。
紅葉の間からもこの山が見えました。
カラマツの林を通り過ぎました。
「落葉松の林を過ぎて 落葉松をしみじみ見き 落葉松は寂しかりけり、、、、、、」 白秋の詩が思い出されます。
足元に美しく実るユキザサの実です。 左がハルナユキザサ(榛名雪笹) 右はユキザサです。
左、アズマヤマアザミ、右、ナンブアザミです。 総苞片の長さに違いが現れます。
左、ウリハダカエデ、右、カジカエデです。
頂上からの眺めです。
榛名富士(1391m)です。
相馬岳(1104m)です。
二つ岳(1343m)です。
麓から見た榛名富士です。
麓から烏帽子岳(1363m)をアップにしました。
「亭主の好きな赤烏帽子」では無く、錦秋の烏帽子岳でした。
城めぐりの旅 甲府
2010.10.25 Monday
甲斐の国の国府、甲府に行って来ました。
武田信虎、信玄、勝頼の居城の躑躅ヶ崎の館は大正時代から武田神社になってます。
躑躅ヶ崎の館はこの神社の隅にわずかにその面影を残しています。
この館の奥の要害山に詰め城が有りました。
煙の見える奥の山が要害山だそうです。 信虎が今川氏の家臣に攻められたとき、身重の大井夫人はこの要害山城で信玄を出産したそうです。
上段左、長禅寺です。ここに信玄の生母、大井夫人の墓があります。 右、東光寺の信玄の嫡男義信の墓です。信玄の今川氏攻略に反対して非業の死を遂げたそうです。
下段左、円光院の信玄の正室三条夫人の墓です。 右、法泉寺の勝頼の墓です。
甲府駅の近くにある甲府城です これは稲荷櫓と言います。平成のときの再建です。城は明治時代に出された「廃城令」で多くの城は壊されましたので多くの城が昭和になってから再建され始めました。
この稲荷櫓は資料館になっています。
左、秀吉の頃、この城を支配した浅野長政の家紋「丸に違い鷹の羽」や徳川の時代にこの城を支配した柳沢義保の家紋の「花菱」が目に着くところに大きく下げられていました。
甲府城の天主台です。 天主閣が有ったかどうかは不明です。 この城は徳川の時代に西に対する守りの城として徳川家が直接支配するようになりました。
甲府藩の藩主になったときの柳沢義保はその喜びを
「めぐみある 君につかえし 甲斐ありて 雪のふる道 今ぞ踏みみん」
という和歌に詠んでいます。
武田信虎、信玄、勝頼の居城の躑躅ヶ崎の館は大正時代から武田神社になってます。
躑躅ヶ崎の館はこの神社の隅にわずかにその面影を残しています。
この館の奥の要害山に詰め城が有りました。
煙の見える奥の山が要害山だそうです。 信虎が今川氏の家臣に攻められたとき、身重の大井夫人はこの要害山城で信玄を出産したそうです。
上段左、長禅寺です。ここに信玄の生母、大井夫人の墓があります。 右、東光寺の信玄の嫡男義信の墓です。信玄の今川氏攻略に反対して非業の死を遂げたそうです。
下段左、円光院の信玄の正室三条夫人の墓です。 右、法泉寺の勝頼の墓です。
甲府駅の近くにある甲府城です これは稲荷櫓と言います。平成のときの再建です。城は明治時代に出された「廃城令」で多くの城は壊されましたので多くの城が昭和になってから再建され始めました。
この稲荷櫓は資料館になっています。
左、秀吉の頃、この城を支配した浅野長政の家紋「丸に違い鷹の羽」や徳川の時代にこの城を支配した柳沢義保の家紋の「花菱」が目に着くところに大きく下げられていました。
甲府城の天主台です。 天主閣が有ったかどうかは不明です。 この城は徳川の時代に西に対する守りの城として徳川家が直接支配するようになりました。
甲府藩の藩主になったときの柳沢義保はその喜びを
「めぐみある 君につかえし 甲斐ありて 雪のふる道 今ぞ踏みみん」
という和歌に詠んでいます。
アフリカ南部の旅
2010.10.11 Monday
成田から香港、ヨハネスブルクを経由して一気にビクトリアフォールス空港(ジンバブエ)へ行きました。
ホテルに寄ってから滝の見学です。
これはヘリコプターの上から見たものです。 滝の上がザンベジ川です。ザンビアから流れてきます。
1855年にリビングストーンが西洋人として初めてここに来て時の女王の名前、ビクトリアがこの滝に付けられました。
南アフリカ共和国(南ア)に戻って、首都プレトリアの美しいジャカランダ(ノウゼンカズラ科)の並木を見ました。
この木はブラジル原産だそうです。
落ちていた花のアップです。
それからクルーガー国立公園でのサファリです。
象のラブシーンが見られました。
キリンの出産直後です。 まだ立てないベイビーが親のキリンの前足の前に見えます。
右上のSilent Hunter の豹はめったに見られないそうです。
左下は水牛です。 これらに象を入れて BIG FIVE と言うそうです。
続いてケープタウンのテーブルマウンテンにケーブルカーで登りました。
ケープタウンの夜景です。 南アでの最初に出来た町です。
近くの植物園に行きました。
プロティアの王様、キングプロティア(ヤマモガラ科)です。
極楽鳥花(バショウ科)です。
極楽鳥花のアップです。
喜望峰です。西洋人としてバーソロミュー.デアスが1488年に初めて通りました。
ケープタウンに来る途中のブライデーリバー峡谷です。 世界三大峡谷の一つです。
ガイドの LINDA にモテテ、モテテ???
ホテルに寄ってから滝の見学です。
これはヘリコプターの上から見たものです。 滝の上がザンベジ川です。ザンビアから流れてきます。
1855年にリビングストーンが西洋人として初めてここに来て時の女王の名前、ビクトリアがこの滝に付けられました。
南アフリカ共和国(南ア)に戻って、首都プレトリアの美しいジャカランダ(ノウゼンカズラ科)の並木を見ました。
この木はブラジル原産だそうです。
落ちていた花のアップです。
それからクルーガー国立公園でのサファリです。
象のラブシーンが見られました。
キリンの出産直後です。 まだ立てないベイビーが親のキリンの前足の前に見えます。
右上のSilent Hunter の豹はめったに見られないそうです。
左下は水牛です。 これらに象を入れて BIG FIVE と言うそうです。
続いてケープタウンのテーブルマウンテンにケーブルカーで登りました。
ケープタウンの夜景です。 南アでの最初に出来た町です。
近くの植物園に行きました。
プロティアの王様、キングプロティア(ヤマモガラ科)です。
極楽鳥花(バショウ科)です。
極楽鳥花のアップです。
喜望峰です。西洋人としてバーソロミュー.デアスが1488年に初めて通りました。
ケープタウンに来る途中のブライデーリバー峡谷です。 世界三大峡谷の一つです。
ガイドの LINDA にモテテ、モテテ???
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