皇居東御苑 EMPEROR PALACE
2011.01.30 Sunday
皇居の東御苑にいきました。
I went to the Emperor Palace. The Emperor Palace was the former Edo castle. Edo is the old name of Tokyo.
The Palace main buildings are located in westen area in Edo castle.
The eastern area is open to the public. We say the area "East Garden".
平河門に続く橋を渡ります。
At first we cross this bridge to go to Hirakawa Gate. The castle is a kind of fort. The castle protect itself by moats and stone arrengement walls.
この石垣は「打ち込みはぎ」という石の積み方がされてます。
This stone wall was piled by roughly processed stones.
入口の高麗門です。 奥に渡櫓門が見えます。
This gate is the first gate, you can see the second gate inside the first gate.
2番目の門が渡櫓門(わたりやぐらもん)です。 門の上は武器庫になっていてここから敵を攻撃出来ます。
Inside the first gate, you can see the second gate. There is the weapon warehouse at the upper part of the gate, The castle solders can attack the enemy by bullets and arrows.
この様な作りの門を枡形門と言います。
Between the gates, there is a square. This kind of gates ,we say
”Measure Box gates”.
城の重要な部分は「切り込みはぎ」という石積になっています。
The important part of stone fence is made by completely processed stones.
東御苑の中は白梅が咲いていました。
There are many Ume trees which are in full blossom.
UMe is a little bit differnt from Plum.
これは天主台です。 1657年の火事により天守閣は焼失しました。
This is the foundation of the castle tower. The tower was burned out in 1657AD.
天守台を横から見た所です。天守閣はその後再建されませんでした。
This is the right side of the foundation. The castle tower was not rebuilded in Edo Era.
I went to the Emperor Palace. The Emperor Palace was the former Edo castle. Edo is the old name of Tokyo.
The Palace main buildings are located in westen area in Edo castle.
The eastern area is open to the public. We say the area "East Garden".
平河門に続く橋を渡ります。
At first we cross this bridge to go to Hirakawa Gate. The castle is a kind of fort. The castle protect itself by moats and stone arrengement walls.
この石垣は「打ち込みはぎ」という石の積み方がされてます。
This stone wall was piled by roughly processed stones.
入口の高麗門です。 奥に渡櫓門が見えます。
This gate is the first gate, you can see the second gate inside the first gate.
2番目の門が渡櫓門(わたりやぐらもん)です。 門の上は武器庫になっていてここから敵を攻撃出来ます。
Inside the first gate, you can see the second gate. There is the weapon warehouse at the upper part of the gate, The castle solders can attack the enemy by bullets and arrows.
この様な作りの門を枡形門と言います。
Between the gates, there is a square. This kind of gates ,we say
”Measure Box gates”.
城の重要な部分は「切り込みはぎ」という石積になっています。
The important part of stone fence is made by completely processed stones.
東御苑の中は白梅が咲いていました。
There are many Ume trees which are in full blossom.
UMe is a little bit differnt from Plum.
これは天主台です。 1657年の火事により天守閣は焼失しました。
This is the foundation of the castle tower. The tower was burned out in 1657AD.
天守台を横から見た所です。天守閣はその後再建されませんでした。
This is the right side of the foundation. The castle tower was not rebuilded in Edo Era.
招き猫の発祥地 LUCKY CATS
2011.01.28 Friday
都内では招き猫の発祥地としては、世田谷の豪徳寺と浅草の近くの今戸神社が有名です。
There are two famous places about a LUCKY CAT in Tokyo. One is a temple and another is a shrine.
今回は今戸神社に行きました。
This time I went to IMADO JINJA shrine. This shrine ls located in Taito City.
これが今戸神社の本殿です。 This is the main building of IMADO JINJA shrine.
本殿の中に大きな招き猫が鎮座しています。
Inside the main building, there are two LUCKY CATS.
この2匹の猫は縁結びの猫として大変人気があります。日曜日や祝日には若い女性でにぎわいます。
THESE cats are very popular as the cats of matchmaking. In holidays and Sundays, many young girls would come in this shirine.
若い女性たちはこの絵馬に願い事を書きこみます。
This is the WISH BOARD, young girls would write their wishes, for example, to have a good boy friend or to be able to have a good love marrage. And hang them on the display.
神社の境内は絵馬でいっぱいです。
There are many many WISH BOARDS in the shrine area.
There are two famous places about a LUCKY CAT in Tokyo. One is a temple and another is a shrine.
今回は今戸神社に行きました。
This time I went to IMADO JINJA shrine. This shrine ls located in Taito City.
これが今戸神社の本殿です。 This is the main building of IMADO JINJA shrine.
本殿の中に大きな招き猫が鎮座しています。
Inside the main building, there are two LUCKY CATS.
この2匹の猫は縁結びの猫として大変人気があります。日曜日や祝日には若い女性でにぎわいます。
THESE cats are very popular as the cats of matchmaking. In holidays and Sundays, many young girls would come in this shirine.
若い女性たちはこの絵馬に願い事を書きこみます。
This is the WISH BOARD, young girls would write their wishes, for example, to have a good boy friend or to be able to have a good love marrage. And hang them on the display.
神社の境内は絵馬でいっぱいです。
There are many many WISH BOARDS in the shrine area.
沼津アルプス
2011.01.26 Wednesday
春を求めて沼津アルプスに行きました。
標高2〜3千mでは無く2〜3百mの山が6つ連なっています。
登ったのは徳倉山です。
アリドオシ(蟻通し)の実を見つけました。 アカネ科です。
鋭い刺で蟻を刺し通してしまう様に見える事からこの名前が付きました。
フユイチゴ、冬苺(バラ科)です。
小さな実が付いてます。
テイカカズラ(定家葛)の実です。キョウチクトウ科です。
風に吹かれて落ち葉の上に落ちていました。 式子内親王(後白河法皇の第三皇女)の墓に絡んでいたカズラをいつしか藤原定家の名が使われる様になりました。
カラスノエンドウ(マメ科)です。
ホトケノザ、仏の座(シソ科)の群生です。
山の中にはカゴノキ(鹿子の木)、クスノキ科、が沢山生えていました。
樹皮が鹿の子まだらに剥げ落ちます。
「時知らぬ 山は富士の嶺 いつとてか 鹿の子まだらに 雪の降るらむ」
在原 業平
大トカゲ場から見た沼津アルプス最高峰の鷲頭山です。(392m)
トカゲ場とはトカゲが岩の上で日向ぼっこをして休むように「大休止」する場所ののことを言います。
この日は大トカゲ場で富士山をゆっくり眺める予定でしたが富士山は心眼でしかみえませんでした。
標高2〜3千mでは無く2〜3百mの山が6つ連なっています。
登ったのは徳倉山です。
アリドオシ(蟻通し)の実を見つけました。 アカネ科です。
鋭い刺で蟻を刺し通してしまう様に見える事からこの名前が付きました。
フユイチゴ、冬苺(バラ科)です。
小さな実が付いてます。
テイカカズラ(定家葛)の実です。キョウチクトウ科です。
風に吹かれて落ち葉の上に落ちていました。 式子内親王(後白河法皇の第三皇女)の墓に絡んでいたカズラをいつしか藤原定家の名が使われる様になりました。
カラスノエンドウ(マメ科)です。
ホトケノザ、仏の座(シソ科)の群生です。
山の中にはカゴノキ(鹿子の木)、クスノキ科、が沢山生えていました。
樹皮が鹿の子まだらに剥げ落ちます。
「時知らぬ 山は富士の嶺 いつとてか 鹿の子まだらに 雪の降るらむ」
在原 業平
大トカゲ場から見た沼津アルプス最高峰の鷲頭山です。(392m)
トカゲ場とはトカゲが岩の上で日向ぼっこをして休むように「大休止」する場所ののことを言います。
この日は大トカゲ場で富士山をゆっくり眺める予定でしたが富士山は心眼でしかみえませんでした。
城めぐりの旅、津、伊賀上野、松阪
2011.01.21 Friday
2泊3日の城めぐりに出かけました。
初日は三重県の津市です。 「伊勢は津で持つ津は伊勢で持つ」と言われたのは遠い昔になりました。
今は県庁所在地のなかで1番人口の少ない市を山口県の山口市と競っているそうです。
津市にある津城跡でもある「お城公園」に行きました。
藤堂高虎の像です。 彼は加藤清正とともに築城の名手と言われました。
津城です。
この城は藤堂高虎によってほぼ完全に作り直されました。この櫓は昭和になって再建されました。
彼の城の特徴は高い石垣と幅の広い濠です。
「打ち込みはぎ」の石垣がほぼ垂直に作られています。
お濠と石垣との間にある「犬走り」という平らな部分があるのも高虎のお城の特徴です。また石垣の角は綺麗な「算木積み」になってます。
次の日は伊賀上野城です。
この城の天守と櫓も昭和になって作られましたが当時のものとは形が大分異なるそうです。
藤堂高虎は浅井長政、豊臣秀吉、徳川家康など多くの主君に仕えました。偶然のなせる技の要素が強いと思いますが「日本のジョセフ.フーシェ」かなとも思ったりします。
ここも高く垂直に近い石垣がありました。
この天守は当時有ったものの半分くらいの大きさなので少し違和感があります。
最後の日は松坂城です。 この城は蒲生氏郷が大部分を作りました。
建物は残っていませんが、山頂部に本丸、中腹に二の丸、山麓に三の丸を置いた典型的な「一二三段(ひふみだん)」の城です。
松坂は商人の町でもあります。三越の創始者が出た町です。
上段左、本居宣長の家、今は松坂城の隠居丸に移築されています。 右、三越の創始者、三井家の家です。
下段左、ここがお伊勢参りの街道でした。 右、装飾的要素の強い「うだつ」です。 「うだつがあがらない」の言葉はこのうだつから来ました。
松坂は明治になってから「松阪(まつさか)」と書くようになったそうです。
藤堂高虎の下屋敷の門が我が家の近くに残っています(JR山手線駒込駅の近く)。
また東京の上野は江戸時代に高虎の屋敷があったこと、伊賀上野と地形が似ていたから忍ヶ岡と呼ばれていたのが上野に変わったと言われています。
初日は三重県の津市です。 「伊勢は津で持つ津は伊勢で持つ」と言われたのは遠い昔になりました。
今は県庁所在地のなかで1番人口の少ない市を山口県の山口市と競っているそうです。
津市にある津城跡でもある「お城公園」に行きました。
藤堂高虎の像です。 彼は加藤清正とともに築城の名手と言われました。
津城です。
この城は藤堂高虎によってほぼ完全に作り直されました。この櫓は昭和になって再建されました。
彼の城の特徴は高い石垣と幅の広い濠です。
「打ち込みはぎ」の石垣がほぼ垂直に作られています。
お濠と石垣との間にある「犬走り」という平らな部分があるのも高虎のお城の特徴です。また石垣の角は綺麗な「算木積み」になってます。
次の日は伊賀上野城です。
この城の天守と櫓も昭和になって作られましたが当時のものとは形が大分異なるそうです。
藤堂高虎は浅井長政、豊臣秀吉、徳川家康など多くの主君に仕えました。偶然のなせる技の要素が強いと思いますが「日本のジョセフ.フーシェ」かなとも思ったりします。
ここも高く垂直に近い石垣がありました。
この天守は当時有ったものの半分くらいの大きさなので少し違和感があります。
最後の日は松坂城です。 この城は蒲生氏郷が大部分を作りました。
建物は残っていませんが、山頂部に本丸、中腹に二の丸、山麓に三の丸を置いた典型的な「一二三段(ひふみだん)」の城です。
松坂は商人の町でもあります。三越の創始者が出た町です。
上段左、本居宣長の家、今は松坂城の隠居丸に移築されています。 右、三越の創始者、三井家の家です。
下段左、ここがお伊勢参りの街道でした。 右、装飾的要素の強い「うだつ」です。 「うだつがあがらない」の言葉はこのうだつから来ました。
松坂は明治になってから「松阪(まつさか)」と書くようになったそうです。
藤堂高虎の下屋敷の門が我が家の近くに残っています(JR山手線駒込駅の近く)。
また東京の上野は江戸時代に高虎の屋敷があったこと、伊賀上野と地形が似ていたから忍ヶ岡と呼ばれていたのが上野に変わったと言われています。
カンアオイ(寒葵)
2011.01.15 Saturday
白金台の自然教育園でカンアオイの花が咲いていました。
カンアオイ(ウマノスズクサ科)です。
落ち葉の下には花が有りました。
ついでに他の植物も観察です。
ビナンカズラ(マツブサ科)の葉です。 常緑なのに葉にアントシアンが多いので紅葉しますが落葉しません。
別名サネカズラです。
名にし負(お)はば 逢坂山(あふさかやま)の さねかづら
人に知られで くるよしもがな 三条右大臣
ヒガンバナの葉も見られました。
ここは都会の真ん中にあるとは思えないくらい静かです。
ちなみに白金とは銀のこと、ここの近くの外苑西通りを「プラチナ通り」と呼んでいるのはユーモアのセンスでしょうか。
カンアオイ(ウマノスズクサ科)です。
落ち葉の下には花が有りました。
ついでに他の植物も観察です。
ビナンカズラ(マツブサ科)の葉です。 常緑なのに葉にアントシアンが多いので紅葉しますが落葉しません。
別名サネカズラです。
名にし負(お)はば 逢坂山(あふさかやま)の さねかづら
人に知られで くるよしもがな 三条右大臣
ヒガンバナの葉も見られました。
ここは都会の真ん中にあるとは思えないくらい静かです。
ちなみに白金とは銀のこと、ここの近くの外苑西通りを「プラチナ通り」と呼んでいるのはユーモアのセンスでしょうか。
東京散歩、新大久保
2011.01.12 Wednesday
JR山手線新大久保駅の近くに、皆中稲荷神社があります。
ここは新宿区百人町です。江戸時代鉄砲百人隊のいた所です。皆中(ミナアタル)と読んで鉄砲隊の人たちに信仰されました。
その後この神社にお参りすると、宝くじや馬券も当たる様になると言い伝えられて、宝くじが当たるように絵馬を奉納する人たちがでてきました。
新大久保の駅の近くにはコリアンタウンがあります。
看板がハングル文字だけの店も多くあり韓国にいるのかと錯覚しそうになります。
その近くにあるのが小泉八雲記念公園です。
彼は亡くなるまでの数年間をここの近くで過ごしました。
もともとギリシャ人である彼はニューヨークタイムスの記者として日本に来ました。以前夏に訪れた時はギリシャの国花であるアカンサスが咲いていました。
ここは新宿区百人町です。江戸時代鉄砲百人隊のいた所です。皆中(ミナアタル)と読んで鉄砲隊の人たちに信仰されました。
その後この神社にお参りすると、宝くじや馬券も当たる様になると言い伝えられて、宝くじが当たるように絵馬を奉納する人たちがでてきました。
新大久保の駅の近くにはコリアンタウンがあります。
看板がハングル文字だけの店も多くあり韓国にいるのかと錯覚しそうになります。
その近くにあるのが小泉八雲記念公園です。
彼は亡くなるまでの数年間をここの近くで過ごしました。
もともとギリシャ人である彼はニューヨークタイムスの記者として日本に来ました。以前夏に訪れた時はギリシャの国花であるアカンサスが咲いていました。
浅草寺境内と浅草神社境内
2011.01.11 Tuesday
昔、プロ野球の監督がグランドにはゼニが落ちていると言いましたが、浅草寺にも御利益があふれてます。
一言不動尊です。
一言だけお願いするとそれが叶うそうです。 今で言う Twitter不動尊かも知れません。
胎内くぐり灯篭です。
子供がこの空間をくぐると御利益があるそうです。
浅草神社には三社祭に使われる御神輿が公開されていました。
三社とは浅草観音を隅田川から網で引き揚げた漁師2人とそれを祀った村長の計3人のことを指します。
新門辰五郎が伏見稲荷の分身を勧請した被官稲荷です。
奉納された狐の表情が少しづつ異なる様です。 稲荷とは食のの神様です。 稲成りが稲荷になったとか、
御祭神の別名である御饌津神(みけつかみ)のその文字に、狐(ケツネ=キツネの古語)を使い、三狐神(みけつかみ)と記したためとか 被官稲荷の説明文に書いてあります。
そのような事でお稲荷様と狐とが縁が有る様です。
浅草神社の境内での猿回しです。 猿が逆立ちをしながら階段状のものを登って行きました。
浅草寺境内の紅梅です。
「梅一輪 一輪ほどの 暖かさ]」 ( 服部嵐雪の俳句) とはいかないようで。
♪♪北風の中に聞こうよ春を、北風の中に聞こうよ 春を、、、♪♪ のようです。
一言不動尊です。
一言だけお願いするとそれが叶うそうです。 今で言う Twitter不動尊かも知れません。
胎内くぐり灯篭です。
子供がこの空間をくぐると御利益があるそうです。
浅草神社には三社祭に使われる御神輿が公開されていました。
三社とは浅草観音を隅田川から網で引き揚げた漁師2人とそれを祀った村長の計3人のことを指します。
新門辰五郎が伏見稲荷の分身を勧請した被官稲荷です。
奉納された狐の表情が少しづつ異なる様です。 稲荷とは食のの神様です。 稲成りが稲荷になったとか、
御祭神の別名である御饌津神(みけつかみ)のその文字に、狐(ケツネ=キツネの古語)を使い、三狐神(みけつかみ)と記したためとか 被官稲荷の説明文に書いてあります。
そのような事でお稲荷様と狐とが縁が有る様です。
浅草神社の境内での猿回しです。 猿が逆立ちをしながら階段状のものを登って行きました。
浅草寺境内の紅梅です。
「梅一輪 一輪ほどの 暖かさ]」 ( 服部嵐雪の俳句) とはいかないようで。
♪♪北風の中に聞こうよ春を、北風の中に聞こうよ 春を、、、♪♪ のようです。
湯島天満宮(湯島天神)
2011.01.10 Monday
「湯島の白梅」で有名な湯島天神に行きました。
今や受験シーズンとあって大混雑です。
この絵馬を見ると圧倒されます。
白梅が一本だけ満開でした。
♪♪湯島とおれ〜ば思〜いだす、お蔦、主税の心生き、、、♪♪
泉鏡花原作の婦系図の映画化された時の主題歌があったそうです。
新島襄先生は寒梅を見て
「寒梅は真理に似たり。あえて風雪を侵して開く」 と漢詩に詠んだそうですが 私は「越しの寒梅」の方が気になります。
ここには奇縁氷人石というものが有ります。
四角い石柱の正面が奇縁氷人石とあり、右面には「たずぬるかた」、左面には「をしふるかた」と書いてあります。
それぞれの面に情報を紙に書いて貼ったそうです。
ここには「おとこ坂」と「おんな坂」が有り他にも夫婦坂があります。
ここの「おみくじ」は受験生に配慮して「凶」が入っていないという噂があります。 私は試しに5個買ってみました。 全て吉、小吉、末吉の三種類でした。
今や受験シーズンとあって大混雑です。
この絵馬を見ると圧倒されます。
白梅が一本だけ満開でした。
♪♪湯島とおれ〜ば思〜いだす、お蔦、主税の心生き、、、♪♪
泉鏡花原作の婦系図の映画化された時の主題歌があったそうです。
新島襄先生は寒梅を見て
「寒梅は真理に似たり。あえて風雪を侵して開く」 と漢詩に詠んだそうですが 私は「越しの寒梅」の方が気になります。
ここには奇縁氷人石というものが有ります。
四角い石柱の正面が奇縁氷人石とあり、右面には「たずぬるかた」、左面には「をしふるかた」と書いてあります。
それぞれの面に情報を紙に書いて貼ったそうです。
ここには「おとこ坂」と「おんな坂」が有り他にも夫婦坂があります。
ここの「おみくじ」は受験生に配慮して「凶」が入っていないという噂があります。 私は試しに5個買ってみました。 全て吉、小吉、末吉の三種類でした。
隅田川七福神
2011.01.07 Friday
隅田川七福神は江戸時代末期に骨董屋を営む人が建てた別荘「向島百花園に集まった文人墨客などが始めたと言われています。
浅草駅から出発です。
隅田川を渡ったところにある三囲神社からスタートとです。三囲の文字には三井の文字が隠れています。
ここは恵比寿様と大黒天が江戸時代に三井越後屋(今の三越)から奉納されてます。
昔ある僧が荒れた社のそばで白狐が神像の周りを三回まわったので三囲神社と名付けられました。 この神社は三越の守護神としてあがめられています。
その狐はいまでも拝殿の屋根で回り続けています。 MR.S様もご指摘なさったように三越のライオンも奉納されています。
とても珍しい三角石鳥居もここに置かれています。
恵比寿神は七福神のうち唯一の日本の神です。 OO天というのはインドのバラモン教由来する神です。
弘福寺です。 中国の黄檗宗の寺です。 布袋尊が祀られています。 布袋尊は中国に実在した僧がモデルと言われてます。
長命寺です。 弁財天が祀られています。 3代将軍がこの近くに来て気分が悪くなった時このてらの「長命水」を飲んで元気になったので長命寺の号を貰ったとされています。
ここには弁財天が祀られてます。 唯一の女性の神です。
この寺に劣らず「長命寺の桜餅」も有名です。
向島百花園に福碌寿が祀られています。ここは寺でも神社でもありません。
皇室に献上される七草篭です。
白鬚神社です。 ここには寿老人が祀られています。。 寿老人や 福碌寿は中国の道教との関係がありそうです。
多門寺です。 ここには毘沙門天が祀られています。
これで隅田川七福神巡りは終わりです。 東京スカイツリリーを真近に見ながら約一万八千歩の行程でした。
浅草駅から出発です。
隅田川を渡ったところにある三囲神社からスタートとです。三囲の文字には三井の文字が隠れています。
ここは恵比寿様と大黒天が江戸時代に三井越後屋(今の三越)から奉納されてます。
昔ある僧が荒れた社のそばで白狐が神像の周りを三回まわったので三囲神社と名付けられました。 この神社は三越の守護神としてあがめられています。
その狐はいまでも拝殿の屋根で回り続けています。 MR.S様もご指摘なさったように三越のライオンも奉納されています。
とても珍しい三角石鳥居もここに置かれています。
恵比寿神は七福神のうち唯一の日本の神です。 OO天というのはインドのバラモン教由来する神です。
弘福寺です。 中国の黄檗宗の寺です。 布袋尊が祀られています。 布袋尊は中国に実在した僧がモデルと言われてます。
長命寺です。 弁財天が祀られています。 3代将軍がこの近くに来て気分が悪くなった時このてらの「長命水」を飲んで元気になったので長命寺の号を貰ったとされています。
ここには弁財天が祀られてます。 唯一の女性の神です。
この寺に劣らず「長命寺の桜餅」も有名です。
向島百花園に福碌寿が祀られています。ここは寺でも神社でもありません。
皇室に献上される七草篭です。
白鬚神社です。 ここには寿老人が祀られています。。 寿老人や 福碌寿は中国の道教との関係がありそうです。
多門寺です。 ここには毘沙門天が祀られています。
これで隅田川七福神巡りは終わりです。 東京スカイツリリーを真近に見ながら約一万八千歩の行程でした。
夢の島熱帯植物園
2011.01.05 Wednesday
花のカレンダーに夢の島熱帯植物園でドンベアウォリッキーが開花と書いて有りましたので、新木場駅の近くのこの植物園に行きました。
ドンベアウィオリッキー(アオギリ科)です。 小さい花がくす玉のように咲いています。 マアガスカラ原産です。
他に見ごろの花は以下の通りです。
ベニヒモノキ(トウダイグサ科) マレー半島原産です。
レッドジンジャー(ショウガ科)です。 花びらに見えるのは苞だそうです。 マレー半島原産です。
ウナズキヒメフヨウ(アオイ科)です。 花が下を向くので頷いて見えるからこの名前が着きました。
食虫植物も見てきました。
おなじみのモウセンゴケ(モウセンゴケ科)です。
ネペンテス(ウツボカズラ科)です。
最後に口直し
デンドロビウムファレノブシス(ラン科)です。
この植物園でも6月ごろツリバナが咲くときも有るそうです。 その頃また見に来て下さいとボランティアの人に言われました。
ドンベアウィオリッキー(アオギリ科)です。 小さい花がくす玉のように咲いています。 マアガスカラ原産です。
他に見ごろの花は以下の通りです。
ベニヒモノキ(トウダイグサ科) マレー半島原産です。
レッドジンジャー(ショウガ科)です。 花びらに見えるのは苞だそうです。 マレー半島原産です。
ウナズキヒメフヨウ(アオイ科)です。 花が下を向くので頷いて見えるからこの名前が着きました。
食虫植物も見てきました。
おなじみのモウセンゴケ(モウセンゴケ科)です。
ネペンテス(ウツボカズラ科)です。
最後に口直し
デンドロビウムファレノブシス(ラン科)です。
この植物園でも6月ごろツリバナが咲くときも有るそうです。 その頃また見に来て下さいとボランティアの人に言われました。