東京大学の散策。
2015.11.30 Monday
我が家から地下鉄南北線で2つ目の東大前駅で降りて、東京大学構内を散策しました。
安田講堂です。
東京大学のシンボル、公孫樹並木です。
この並木道の近くに大きな公孫樹の木があります。 この木は特別な木です。
お猪口葉公孫樹、あるいはラッパ型公孫樹と呼ばれる葉っぱが100枚に1枚の割で見つかります。
その葉っぱを束ねて、公孫樹の「花束」が出来上がります。
ちなみに、分類学では、イチョウは一科一属一種、人間も一科一属一種です。
ちなみに、分類学では、イチョウは一科一属一種、人間も一科一属一種です。
三四郎池です。漱石の小説、「三四郎」にちなんで名づけられました。
ここを、三四郎と美禰子が散策したのでしょうか。 美禰子のモデルは平塚雷鳥だと言われています。
赤門です。 前田家が家斉の21女,溶姫の婚礼のために作りました。
左右には唐破風の番所が残っています。
ご訪問ありがとうございます。
ブロ友と皇居散策。
2015.11.22 Sunday
ブログで知り合った、マレーシア人のご夫妻をが東京に来ましたので、皇居を案内しました。
正面石橋です。 ここを二重橋と思っている方がいます。
二重橋です。
堀までかなりの距離があるので、木製の橋を架け、その上にもう一つの橋を架けましたので、
二重橋と呼ばれています。 今は鋼鉄製の端に架け替えられています。
案内した、Mr.Twilight Man と奥様です。
お二人とも米国の大学に学んだ超エリートです。 英語が堪能なのに、オーストラリアやニュージーランドへは、
行かないで、日本に度々来ます。理由を聞いたら、日本には歴史があって、それらの国には、無いからと言われました。
私のもう一つのブログは、 Minoru's Photo Diary. です。
桜田巽櫓です。 辰巳ですから、南西へ向いています。
この石垣の角は、算木積みと呼ばれる石の積み方です。
横矢掛り、と言われる構造です。城攻めに来た敵を側面から攻撃できます。
お堀に居た、アオサギです。
白鳥もいました。 後ろの石垣は、打ち込み接(うちこみはぎ)という積み方です。
十月桜も咲いていました。
切込み接(きりこみはぎ)という積み方です。
この城は、藤堂高虎が設計しました。
天守台あとです。
1657年の振袖火事で全焼しました。 多くの幕府首脳が再建を望んだのですが、家光の異母兄弟、
保科正之の進言で、再建は中止されました。多くの予算が江戸復興のために使われました。
北桔橋門(きたはねばしもん)です。 当時は跳ね橋になっていて緊急の逃走や、敵の侵攻を防ぐために作られました。
ここを出て、彼らを上野の国立博物館へ案内し、そこで別れました。
ご訪問ありがとうございます。
正面石橋です。 ここを二重橋と思っている方がいます。
二重橋です。
堀までかなりの距離があるので、木製の橋を架け、その上にもう一つの橋を架けましたので、
二重橋と呼ばれています。 今は鋼鉄製の端に架け替えられています。
案内した、Mr.Twilight Man と奥様です。
お二人とも米国の大学に学んだ超エリートです。 英語が堪能なのに、オーストラリアやニュージーランドへは、
行かないで、日本に度々来ます。理由を聞いたら、日本には歴史があって、それらの国には、無いからと言われました。
私のもう一つのブログは、 Minoru's Photo Diary. です。
桜田巽櫓です。 辰巳ですから、南西へ向いています。
この石垣の角は、算木積みと呼ばれる石の積み方です。
横矢掛り、と言われる構造です。城攻めに来た敵を側面から攻撃できます。
お堀に居た、アオサギです。
白鳥もいました。 後ろの石垣は、打ち込み接(うちこみはぎ)という積み方です。
十月桜も咲いていました。
切込み接(きりこみはぎ)という積み方です。
この城は、藤堂高虎が設計しました。
天守台あとです。
1657年の振袖火事で全焼しました。 多くの幕府首脳が再建を望んだのですが、家光の異母兄弟、
保科正之の進言で、再建は中止されました。多くの予算が江戸復興のために使われました。
北桔橋門(きたはねばしもん)です。 当時は跳ね橋になっていて緊急の逃走や、敵の侵攻を防ぐために作られました。
ここを出て、彼らを上野の国立博物館へ案内し、そこで別れました。
ご訪問ありがとうございます。
鷹取山ハイキング、その1.
2015.11.17 Tuesday
神奈川県の鷹取山へハイキングに行きました。
京浜急行の神武寺駅下車です。
鷹取山の頂上です。 海抜139メートル。関東大震災前はここの凝灰岩を切り出して建築資材として使われていました。
以前はロッククライミングを多くの人がしていたそうです。
震災後は、この岩のもろさ、と鷹取川の隆起でほとんど、この岩石は使われなくなりました。
左上に磨崖仏が小さく見えます。
これが神武寺の鐘撞台です。
このハイキングで多くの植物を見つけました。
宿根朝顔。 繁殖力がとても強いです。
とても美しい花です。
リュウノウギクです。
ホウセンカです。 釣舟草の仲間です。 英語では Touch-Me-Not. 触ると種が弾けます。
因みに忘れな草は、Forget-Me-Not. です。
サラシナショウマも咲いていました。 赤い実は、ハダカホウズキです。
センニンソウです。
種になると、仙人の様な髭が生えます。
コウヤボウキです。 これで高野山を掃除するのは、無理です。
ご訪問ありがとうございます。
京浜急行の神武寺駅下車です。
鷹取山の頂上です。 海抜139メートル。関東大震災前はここの凝灰岩を切り出して建築資材として使われていました。
以前はロッククライミングを多くの人がしていたそうです。
震災後は、この岩のもろさ、と鷹取川の隆起でほとんど、この岩石は使われなくなりました。
左上に磨崖仏が小さく見えます。
これが神武寺の鐘撞台です。
このハイキングで多くの植物を見つけました。
宿根朝顔。 繁殖力がとても強いです。
とても美しい花です。
リュウノウギクです。
ホウセンカです。 釣舟草の仲間です。 英語では Touch-Me-Not. 触ると種が弾けます。
因みに忘れな草は、Forget-Me-Not. です。
サラシナショウマも咲いていました。 赤い実は、ハダカホウズキです。
センニンソウです。
種になると、仙人の様な髭が生えます。
コウヤボウキです。 これで高野山を掃除するのは、無理です。
ご訪問ありがとうございます。
円通院、青葉城址。
2015.11.13 Friday
松島海岸に近い円通院に行きました。
ここは、伊達政宗の嫡孫の菩提寺です。
あの有名な、瑞巌寺の隣に位置しています。
あの東北大震災の時、ここまで津波が押し寄せたそうですが、被害はほとんど無かったそうです。
瑞巌寺は、杉並木の参道が津波の被害と塩害で、大規模な工事をやっていました。
この丸窓から、顔を出して写真を撮ると、美人の人は、より美しくなるようです。
私の妻はそれなりに映りました。
イロハモミジが素敵でした。
これは、松島海岸に建つ、瑞巌寺の五大堂です。
この後、青葉城址に向かいました。
伊達政宗の像です。
広瀬川と仙台の街並みです。
広瀬川というと、青葉城恋唄 を思い出します。
真っ赤に紅葉していたドウダンツツジです。 春に小さな花が沢山咲いた様子が満天の星に
似ているので、中国では、「満天星」と呼ばれています。
一年に2度、楽しませて呉れる植物です。
ご訪問ありがとうございます。
ここは、伊達政宗の嫡孫の菩提寺です。
あの有名な、瑞巌寺の隣に位置しています。
あの東北大震災の時、ここまで津波が押し寄せたそうですが、被害はほとんど無かったそうです。
瑞巌寺は、杉並木の参道が津波の被害と塩害で、大規模な工事をやっていました。
この丸窓から、顔を出して写真を撮ると、美人の人は、より美しくなるようです。
私の妻はそれなりに映りました。
イロハモミジが素敵でした。
これは、松島海岸に建つ、瑞巌寺の五大堂です。
この後、青葉城址に向かいました。
伊達政宗の像です。
広瀬川と仙台の街並みです。
広瀬川というと、青葉城恋唄 を思い出します。
真っ赤に紅葉していたドウダンツツジです。 春に小さな花が沢山咲いた様子が満天の星に
似ているので、中国では、「満天星」と呼ばれています。
一年に2度、楽しませて呉れる植物です。
ご訪問ありがとうございます。
鳴子峡、山寺。
2015.11.08 Sunday
♪♪ はーるばる来たぜ、山形へ ♪♪と、北島三郎が歌わなかった山形へ行って来ました。
山形新幹線の終点、新庄で降りて、レンタカーを借り、3日後、仙台で返しました。
まず、向かったんは、鳴子峡です。
大深沢橋です。
この峡谷の下まで行って来ました。
磐越西線のトンネルが見えました。
お日様に照らされて川面が金色に輝いて見えました。
宿泊は銀山温泉です。
夜はライトアップされていました。
泊まったホテルの客室には、寝湯が付いていました。
翌日は山寺へ向け、峠越えです。
峠からは、雲海が見えました。
山寺に到着です。(立石寺)
五大堂です。 階段が千段以上あるので、ここへは行きませんでした。
立石寺の根本中堂です。
ここから、階段の始まりです。
こんな階段を登りました。
ここが、蝉塚のある所です。
しずかさや いわに しみいる せみのこえ。 芭蕉
こんな岩に蝉の声が浸み込んだのでしょうか。
蝉塚の碑がありました。
次回は蔵王エコーラインと松島です。
ご訪問ありがとうございます。
山形新幹線の終点、新庄で降りて、レンタカーを借り、3日後、仙台で返しました。
まず、向かったんは、鳴子峡です。
大深沢橋です。
この峡谷の下まで行って来ました。
磐越西線のトンネルが見えました。
お日様に照らされて川面が金色に輝いて見えました。
宿泊は銀山温泉です。
夜はライトアップされていました。
泊まったホテルの客室には、寝湯が付いていました。
翌日は山寺へ向け、峠越えです。
峠からは、雲海が見えました。
山寺に到着です。(立石寺)
五大堂です。 階段が千段以上あるので、ここへは行きませんでした。
立石寺の根本中堂です。
ここから、階段の始まりです。
こんな階段を登りました。
ここが、蝉塚のある所です。
しずかさや いわに しみいる せみのこえ。 芭蕉
こんな岩に蝉の声が浸み込んだのでしょうか。
蝉塚の碑がありました。
次回は蔵王エコーラインと松島です。
ご訪問ありがとうございます。
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