皇居をじっくり観察してみると、最終回。
2015.12.26 Saturday
北桔橋門(きたはねばしもん)から、東御苑に再度入りました。
天守台の北側にあるこの門は、防御と緊急脱失のため跳ね橋になっています。
高麗門にかつて、橋を吊り上げる際に用いた釣り具が残っています。
天守台跡です。備前石です。池田輝正が頑張ったのかも知れません。
石目を間違えた石。 鏨で割るための穴が残りました。
これも、石目を間違いて積んだため、割れ目が出来ています。
平河門から竹橋御門に向かうも門です。不浄門と呼ばれました。
往時は竹で出来た橋だったので、竹橋と呼ばれました。
竹橋御門の説明書きです。
清水門です。 昔の儘の石段が残っています。
防御のため、敢えて、歩きにくくしたようです。
清水門の渡り櫓門です。
田安門の内側です。 この木の柱は、戦時の時、横板を渡して鉄砲や弓を使うためのものです。
田安門の牛が淵です。土橋の向こうは千鳥ヶ淵です。
水戸違いです。
千鳥ヶ淵と牛が淵の高低差があるのが良く分かります。
この土橋がダムの役目を果たしています。
皇居で見つけた鳥たちです。
カワウです。
オオバンです。
ユリカモメです。
ハクチョウです。
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皇居をじっくり観察してみると、その2.
2015.12.20 Sunday
前回に続いて皇居をじっくり観察しました。
桔梗門、内桜田門です。
辰巳櫓です。 角にある櫓は隅櫓と言われます。
ズームしてみると、櫓が突き出しています。 石を落としたり、鉄砲を撃つために作られています。
大手門にあった鯱です。 ここが安住の地になりました。
ここからが皇居、東御苑です。
同心番所です。
屋根瓦は本瓦です。 普通に大名は桟瓦(さんかわら)を使います。
百人番所です。
初期の算木積みです。比率が1対3になってます。
全盛期の算木積みです。比率は1対2です。
手前が初期の石積み、奥が後期の石積みです。 奥は扇型になっていて、熊本城の石積みを連想します。
ここが、松の廊下があった近辺です。
ハゼの紅葉が残ってました。 英語で wax treeです。
ミヤマウグイスカグラです。
ボケです。
ユズリハです。縁起の良い木です。
ユズリハの葉です。
ユズリハの実です。
平河門の橋です。 平河門は不浄の門と言われた竹橋に繋がっています。
江島生島事件の容疑者は竹橋から出されました。
平河橋の擬宝珠です。
橋は変わっても擬宝珠は当時のものが使われています。
次回に続きます。
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皇居をじっくり観察してみると、その1
2015.12.17 Thursday
先日はブログ友達を皇居に会いないしました。 今回は皇居を詳しく見て歩きました。
桜田門は外桜田門と呼ばれています。 右に見える、憲政会館の黒い塔のあたりに、井伊直弼が住んでいました。
桜田門といえば、警視庁です。
この門が桜田門の入口、高麗門です。
高麗門を内側から、撮りました。
入った所に広場があり、右側にもう一つの門、渡り櫓門があります。
この広場を桝形と呼びます。
これが、渡り櫓門です。 櫓とは、矢の倉という意味です。
高麗門を打ち破った敵を攻撃するための門です。
渡り櫓門の真上、板が取り外し出来る様になっています。
真下に来た、敵を攻撃するためです。
雁木。 渡り櫓門に入るための階段です。 雪国の雁木と同じ文字を書きます。
切り込み接(はぎ)という石の積み方です。 あらかじめ図面に書いてから積んでいきます。
石の角が取ってあるので、一つの石の重さが分散される様に積む事が可能です。
石橋の後ろに見えるのが、伏見櫓です。
秀吉が築いた、伏見城から、移築されました。
次回に続きます。
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鳥羽、伊良湖岬。
2015.12.12 Saturday
最終日は、三重県の鳥羽市から、伊良湖岬へカーフェリーに乗って、恋路が浜を見物して一路、帰宅しました。
鳥羽国際ホテルからの眺めです。
続いてここにやって来ました。
モノクロです。
30分ほどでここに到着です。
この船に乗りました。
これは、伊良湖岬から鳥羽へ向かう、カーフェリーです。
恋人の聖地といわれる、恋路が浜です。
柳田國男が、ここで見つけた椰子の実の話を島崎藤村にしました。
ここは、四葉のクローバーの発祥の地だそうです。
四葉のクローバーをそこで、見つけました。
私にも新しい恋人が出来るでしょうか。
何か良いことが将来起こる事を期待して、ここを後にしました。
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三保松原、浜松城。
2015.12.10 Thursday
今回はマイカーで出かけました。
三保松原です。
曇りのち晴れです。
残念ながら富士山は見えませんでした。
浜松城です。
野面積み の石垣です。
若き日の家康像がありました。
三方が原の戦いで、武田軍に敗れて、家康が脱糞しながら、この城に逃げ帰った事はあまりにも有名です。
天守閣から見た富士山です。
三保の敵を浜松で撃ちました、 何か人生に似ています。
宿泊した、ホテルからの浜名湖の眺めです。
翌日は伊良湖岬から、鳥羽へカーフェリーで行く予定でしたが、強風のため急遽、陸路に変更しました。
津城です。 石垣の下は 犬走り と呼びます。
櫓です。
津城を大改修した、藤堂高虎像です。
伊勢松坂城です。
三の丸へ。
二の丸へ。
本丸跡です。
蒲生氏郷が築城した、この城は、三の丸、二の丸、本丸と続く石垣があります。
これを、一二三段 と呼びます。
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聖橋、小石川後楽園。
2015.12.07 Monday
12月初旬に歩いた東京散歩です。
御茶ノ水駅のそばの聖橋です。 地下鉄丸ノ内線、中央線、総武線が同時に見られます。
橋の右側にある聖ニコライ堂です。
橋の左側にある、湯島聖堂です。 二つの聖堂を結ぶ橋なので聖橋(ひじりばし)と呼ばれています。
カイの木、楷書の楷と書きます。聖堂にふさわしい木です。
神田明神で飼われている、ミニチュアポニーが散歩に来ていました。
小石川後楽園です。
シビックセンター(文京区役所)の25階の展望台(入場無料)から撮りました。
こんな景色も見えます。
近くに礫川公園にある、ハゼの木です。
こんな案内板があります。
ハマヒサカキの花です。
ハマヒサカキの実です。
ナギイカダです。 花筏の仲間です。
小石川後楽園に入りました。
イロハモミジです。
イロハモミジです。
円月橋です。
カワセミがいました。残念ながら望遠レンズは持ってきていませんでした。
サイカチの木です。
サイカチの実、これは昔、洗剤として使われました。
ハナワラビです。
続いて丸ノ内線の新宿御苑前駅で下車しました。
太宗寺の閻魔堂です。
中に閻魔様がいました。隣にいる、脱衣婆は写せませんでした。
おできに効く、塩かけ地蔵です。
江戸六地蔵の一つ、丈六の像です。
次に向かったのは、正受院です。
ここに、綿を被った脱衣婆がいました。 三途の川で死者の衣服を剥がす、役目です。
三途の川への船賃は六文です。 その金が無いと、服を脱がされました。
真田幸村の六文銭の家紋はこの、船賃を意味しています。
梵鐘、第二次大戦で供出されましたが、無事、米国で発見されて戻った、平和の鐘です。
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東京ミッドタウン
2015.12.02 Wednesday
息子とその奥さんの合同の誕生日祝いで東京ミッドタウンに行きました。
リッツカールトンホテル、45回のレストラン、タワーズからの眺めです。
午後8時まではこの照明で下。 窓ガラスに余分な反射が写ってしまいました。
レインボウブリッジとフジテレビの本社が見えました。
誕生日祝いのデザートです。
ロビーに有った、カラーの生け花です。
ミッドタウンはクリスマスムードです。
チョコレートで作られたクリスマスツリーです。
ここにも、クリスマスツリーです。
広場はクリスマスイルミネイションです。
木々も輝いていました。
我が家もクリスマスムード、妻の作ったプレザーブドフラワーです。
同じくクリスマスリースです。
明日から旅行に行ってきます。
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