隅田川七福神

2011.01.07 Friday

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     隅田川七福神は江戸時代末期に骨董屋を営む人が建てた別荘「向島百花園に集まった文人墨客などが始めたと言われています。

     浅草駅から出発です。

     隅田川を渡ったところにある三囲神社からスタートとです。三囲の文字には三井の文字が隠れています。

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     ここは恵比寿様と大黒天が江戸時代に三井越後屋(今の三越)から奉納されてます。

     昔ある僧が荒れた社のそばで白狐が神像の周りを三回まわったので三囲神社と名付けられました。 この神社は三越の守護神としてあがめられています。

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     その狐はいまでも拝殿の屋根で回り続けています。 MR.S様もご指摘なさったように三越のライオンも奉納されています。
     とても珍しい三角石鳥居もここに置かれています。

     恵比寿神は七福神のうち唯一の日本の神です。  OO天というのはインドのバラモン教由来する神です。


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     弘福寺です。 中国の黄檗宗の寺です。 布袋尊が祀られています。 布袋尊は中国に実在した僧がモデルと言われてます。

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     長命寺です。 弁財天が祀られています。 3代将軍がこの近くに来て気分が悪くなった時このてらの「長命水」を飲んで元気になったので長命寺の号を貰ったとされています。
     ここには弁財天が祀られてます。 唯一の女性の神です。

     この寺に劣らず「長命寺の桜餅」も有名です。

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     向島百花園に福碌寿が祀られています。ここは寺でも神社でもありません。

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     皇室に献上される七草篭です。

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     白鬚神社です。 ここには寿老人が祀られています。。 寿老人や 福碌寿は中国の道教との関係がありそうです。

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     多門寺です。 ここには毘沙門天が祀られています。

     これで隅田川七福神巡りは終わりです。 東京スカイツリリーを真近に見ながら約一万八千歩の行程でした。

    北前船

    2010.05.04 Tuesday

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       北前船の足跡を訪ねる旅に参加しました。 今回が10回目です初回の大阪から始まり今回は終盤の東北地方です。私は初参加です。 秋田空港から貸し切りバスで竜飛まで行き青森空港で解散です。

       北前船とは江戸時代から明治30年ごろまで使われた船で大阪を出て瀬戸内海を西に行き関門海峡から日本海に出て北海道まで行ってた船です。


       八望台
       秋田から船川を経て男鹿半島の戸賀の近くにある展望台八望台からの眺めです。
       上段、戸賀港です。 下段左、二の目潟、右、一の目潟です。これらは火山湖です。

       はまなす展望台
       上段左、能代市の近くにある「はまなす展望台」です。右、北前船の「錨」です。
       下段左、今の能代港です。 右、手前が米代川でその置くが往時の能代の港だそうです。

       方角石
       上段、能代市の日和山にある方角石と海難者の霊をなぐさめる五輪塔です。
       下段左、星辻神社です。航海に関係の深い星の名前が付いてます。 右、光久寺にある北前船の乗組員の墓、この地に住み着いて蕎麦屋をやっていたそうで蕎麦をひく臼の形をしています。

       白瀑神社
       上段、秋田音頭で歌われる「秋田名物八森ハタハタ、、」で有名な八森白瀑神社とその裏手にある滝です。 毎年八月一日に神輿をかついでたこの滝壺に入る祭りが行われるそうです。
       下段左、深浦の円覚寺、右、宝篋印塔(ほうきょういんとう)です。

       この円覚寺には船が難破しながら助かった乗組員のちょん髷が沢山奉納されています。

       船が時化に遭うと、まず帆を下ろし、それでも駄目だとマストを折り荷物を捨て最後にちょん髷を切って神に祈ったそうです。その祈りが通じて無事生還した人々のちょん髷を見ると船乗りの大変なことが良く分かります。

       三日目の最終日は桜が満開の弘前にも寄らず津軽半島の先端、竜飛岬も金木の太宰治の斜陽館もバスから見るだけで北前船の足跡をたどりました。

       食事
       前日の夜の食事です。 上段左、「そい」をしゃぶしゃぶで食べました。右、シャコと毛蟹です。
       下段左、生きているシラウオをポン酢で食べました。 右、そのシラウオやしじみの捕れる汽水湖の十三湖です。

       太平洋には菱垣廻船や樽廻船が有りましたが、日本海の北前船はそれより小さくて危険を伴う船のようでした。

       




       
       

      歴史散歩、関宿

      2010.03.29 Monday

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          千葉県の北の端の関宿に行きました。

         分流

          千葉県野田市関宿、この付近は利根川と江戸川が分かれる所です。

         江戸幕府が出来る前は利根川は江戸湾に流れていました。

         城

         往時、関宿城のあった近くに建てられたのが関宿城博物館です。

         この地点は江戸城の外城として重要視され水関所が置かれました。また水上交通の要所でいた。

         1669年久世廣之が5万石で入封して以来、久世家が明治になるまで藩主として治めていました

         紋

         「丸に堅鷹の羽」の久世家の紋です。

         講王神社

         国王神社、平将門の出身地、茨城県坂東市に将門の三女が祀りました。

         坂野家

         坂野家住宅、茨城県常総市にある名主の家です。家の敷地だけで3千坪あるそうで時代劇のロケにしばしば使われるそうです。

         徳川幕府成立以来多くの河川改修と新田開発が行われましたがこの関宿近辺は八代将軍吉宗の頃に多くの新田開発が行われたそうです。

        湘南歴史散歩

        2010.02.08 Monday

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            梶原景時の足跡を訪ねて歩きました。

           モノレール

           湘南モノレールの湘南深澤駅から出発です。
           上段モノレールと梶原の里の名残りを示す住居表示です。
           下段御霊神社と梶原景時の供養塔です。

           梶原景時は平氏側の武士でしたが1180年の石橋山の合戦で敗走した頼朝を洞窟の中で見つけながら敢えて見逃し後に頼朝が天下を取った時にその腹心の部下となりました。

           源太塚
          上段は佛行寺にある景時の息子、梶原源太影季の片腕が葬られているとされる源太塚です。
           下段はその寺の庭です。

           梶原一族は1199年に頼朝が死亡したのち他の御家人たちと対立し、その年に駿河の国で滅亡しました

           稲村ケ崎

           上段稲村ケ崎とその周辺の海岸です。
           下段左、4両編成の路面電車「江ノ電」です。右、「真白き富士の嶺(七里ガ浜哀歌)」で歌われた逗子開成中学の12人のボート部員が遭難した事件の慰霊碑です。

           この稲村ケ崎は1333年に後醍醐天皇の呼びかけで北條氏を討ちに来た新田義貞が後醍醐天皇からもらった金刀を海に投げて引き潮にして、その海岸線を通って鎌倉に攻めて行ったとされる所です。

           この稲村ケ崎の目の前にあるレストランでビールを飲みながら日の暮れるのを待ちました。
           

          湘南散歩

          2010.02.02 Tuesday

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              江ノ電腰越駅で降りて 海に出ますと江の島が良く見えます。

             江の島

              誰もいない砂浜に立つと 砂に書いたラブレター が聞きたくなります。

              この腰越の傍に小動岬が有ります。

             稲村ケ崎から小動岬までは42町有ります。6町を1里と数えていたことから、この42町あるこの浜を七里ガ浜と呼んでいます。

             この腰越駅の傍にあるのが満福寺です。

             満福寺

             上段満福寺です。 下段昼食を食べた舟善と江ノ電の路面電車です。

             義経の有名な「腰越状」はここで書かれました。
             平宗盛親子を生け捕りにして連れてきたのに自分だけは鎌倉に入れなかった無念さを頼朝宛てに書き大江広元に託したと言われてます。

              上段の家紋は 笹竜胆(ささりんどう)頼朝の家紋です。

             江の島には橋を渡らず乗合船で岩屋に行きました。

             岩屋

             上段 船から見た江の島です。
             下段 岩屋の付近(左)と岩屋(右)を外からみたものです。

             岩屋の中

             上段左 岩屋の中から海を見ました。 右、岩屋の中にある石仏です。
             下段左、岩屋の外から見た材木座海岸方面です。 右、小動岬を岩屋の方から見ました。

             頼朝はこの岩屋に1182年に文覚上人を招いて戦勝祈願をしました。

             二つ山

             左、岩屋付近から見た海です。 右、江の島にある二つ山という景色の良い所です。

            鎌倉散歩

            2010.01.31 Sunday

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                JR北鎌倉駅から出発です。

               北条時頼ゆかりの建長寺から天園ハイキングコースに入ります。

               建長寺

               上段は建長寺です。 下段は標高150メートルの大平山から見た建長寺と逗子マリーナです。

               スミレ

               上段タチツボスミレとウグイスカグラ(スイカズラ科)です。
              下段左 タブの芽です。 この木は一つの芽の中に花芽と葉芽を持っているので大きな蕾のような冬芽です。 枝はほぼ同時に何本か出るので同時枝と呼ばれてます。
               下段右 ヤマコウバシ(クスノキ科)です。 冬になっても葉が落ちない木です。落葉樹と常緑樹の中間という説もあります。

               ノキシノブ

                上段左 ノキシノブ(ウラボシ科) 右 白い実を付けた万両です。
               下段 ミツデウラボシ(ウラボシ科)です。 葉の裏側に星の様な斑点が有ります。

               このハイキングコースを出て頼朝ゆかりの鶴岡八幡宮に行きました

               八幡宮

               上段の参道は京都の朱雀大路を参考にして作られたという説が有ります。
               下段の階段の左に実朝の暗殺者が隠れていたと言われるイチョウの木があります。

               ボタン

               ここのボタン苑はボタンが満開でした。

              富岡製糸場

              2009.10.25 Sunday

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                  近代化遺産を訪ねる旅、今回は富岡製糸場に行きました。

                 JR高崎駅から上信電鉄に乗り換えて上州富岡駅まで行きます

                 上信電鉄

                 この電車は無人駅では1番前のドアだけが開いて運転士が運転室から出てきて切符を受け取ります。(写真右上)

                 富岡市ではこの製糸場が国内の世界遺産の暫定リストに載ったので、市をあげてこの製糸場を世界遺産にしようという運動が盛り上がっていました。(写真左下)

                 駅から徒歩10分でこの製糸場に到着です。

                 碑文

                 ここは明治5年に国の肝いりで作られた官製工場で絹生産世界一へと登りつめた原動力となった工場です。

                 製糸場

                 日本における産業革命の原点となったのがこの施設です。

                 一つの国の産業革命の施設が現存していることは極めて珍しいそうで、本場イギリスにも、それに相当する施設は無いそうです。

                 日本を世界の一流国にするために工業を発展させることが必要だと国全体が一つにまとまっていた古き良き時代のシンボルなのでしょうか。

                 

                小石川後楽園

                2009.09.25 Friday

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                    JR飯田橋駅の近くの小石川後楽園に行ってきました。

                   後楽園


                   中国の書の「天下の憂いに先立って憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」から、この名前が取られました。

                   大名庭園の特徴は、借景を使わないこと、弓の材料となるマユミの木を植えること、梅は梅干しに出来る品種を植えること等あります。

                   陽石

                   そして子孫繁栄のため男性を象徴した陽石、女性を象徴した陰石を置くことです。

                    ここのハイライトは円月橋です。

                   円月橋

                   水面に映る影によって橋の下が満月のように見えるよう設計されました。

                   後に8代将軍が江戸城に同じものを作ろうとして作れなかったといわれるほど当時としては最先端の技術で作られています

                   一つ松

                   

                  琵琶湖の唐崎にある「一つ松」を模して植えられてます。

                   蘆山

                   オカメザサに覆われた小高い丘は中国の蘆山にならって作られています。 小蘆山と言われています。

                  人形の街、岩槻

                  2009.09.12 Saturday

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                     地元のボランティアが案内してくれる街歩き、今回は岩槻に行きました。

                     東武野田線の岩槻駅の駅前広場にはからくり時計が有ります。 1時間ごとに人形が現れます。

                     からくり時計

                     駅前の人形の店、「東玉」で木目込み人形の制作過程を見せてもらいました。

                     人形作り

                     木目込み人形の素材は桐の粉で、これを粘土状態に固めて型枠に押し込めて原形を作るそうです。

                     次は、すぐ近くの人形資料館に行きました。

                     雛人形

                     上段、左から、日光東照宮をかたどった雛人形、今年の干支、丑の雛人形です。
                     下段、左は、NHKのドラマ「篤姫」に使われた雛人形です。

                     ここ岩槻も城下町ですが室町時代に建てられたお城の主が諸説あって誰が作ったのか定説が無い様です。

                     江戸時代に建てられた城の1部が残っています。

                     岩槻城

                     上段、左から岩槻城城門、同じく裏門です。
                     下段、左は観光用に作られた「八橋」右は街の至る所に見られる案内板です。

                     この街のシンボル「時の鐘」です。

                     時の鐘

                     岩槻が一番はなやかな時代に城主、阿部正春の命で作られました。